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日没前だというのに、もう列車が来ない――。
近隣には、旅館やホテルが一軒もない――。
そんな場所が、今どきの日本にあるなんて――。
ひどく不安になった郁乃は、ポケットからスマホを取り出した。
「もしかしたら」と思っていたが、予想は当たった。「圏外」だった。
山奥でもないのに、そんな場所が、今どきの日本にあったのである。
郁乃は、脱力感に襲われ、手近にあった椅子に座り込んでしまった。
おかみは黙って給水器のところへ行くと、コップに水を注いで持ってきた。そして、あたかも気を落ち着け冷静になるための秘薬であるかのように、コップを丁寧に捧げ持ち郁乃に渡した。
小さな声で礼を言い、郁乃はコップを受け取った。一口水を飲んでみたが、特別美味しいわけでもなかった。食堂の中を見回したが、電話機は見当たらない。タクシーを呼ぶこともできないようだ。店に電話がないというのもおかしな話だが、郁乃は何となく受け入れた。
「あのう、もし、迎えも来ないし行き先も決まってないなら、今夜はうちの二階に泊まっていきませんか? 明日、列車が動き出したら出発することにして。一人住まいだから、気兼ねはいりませんよ」
完全に詰んでしまった郁乃にとって、おかみの申し出はありがたいものだった。しかし、いい大人が、行き当たりばったりな旅をしたあげく、人の親切を頼みにそれを続けているという状況が情けなくて、すぐには返事ができなかった。
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