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おかみは、そんな郁乃の心中を察してくれたようで、しばらく天井を見つめていたが、急にポンと勢いよく手を打つと、ニッコリ笑ってこう言った。
「そうだわ! もし良かったら、店を手伝ってくれませんか? そうすれば、遠慮なく泊まれるでしょう? もちろん、宿代や食事代はただでね」
郁乃にばかり都合のよい話のようだったが、おかみは乗り気で、いそいそと店の奥へ戻ると小花柄の割烹着を抱えて戻ってきた。
「あら、ぴったりだわ! よく似合ってる! 頭には、これをかぶってみて!」
言われるまま、割烹着を身につけた郁乃に、おかみは同じ柄の三角巾を差し出した。
三角巾の端をうなじの辺りできゅっと結ぶと、不思議なことに、郁乃はすっかり食堂で働く気分になっていた。飲食店でのバイトは、大学生の時のカレー屋以来だったが、そつなく仕事をこなす自信があった。根拠も理由もはっきりしなかったが――。
「さあてと、あなたのこと、何て呼んだらいいかしらね?」
「あっ……、わたしは、岡島郁乃って言います」
「郁乃さんかあ……、じゃあ、郁ちゃんでいいわね?」
「はい。ええっと、おかみさんのことは……、おかみさんでいいですか?」
「いいわよ! それ以外の呼ばれ方をすることは、めったにないからね。アハハハッ!」
いつのまにか口調まで変わって大笑いするおかみに、違和感よりも親しみやすさを感じながら、郁乃も陽気に笑い返した。
さすがに厨房の手伝いは難しいので、郁乃は、接客と片付けをすることになった。
日没を迎え、西の空があかね色に染まり始めた頃、最初の客がやってきた。
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