駅前食堂 夢路屋

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 サラリーマン風の二人連れだった。  おかみが差し出したジョッキを運んでいくと、二人は乾杯をして一気に飲み干した。注文はきいていなかったが、おかみが焼き鳥だの枝豆だの追加のビールだのを次々と出してくるので、郁乃は間を開けずにどんどん運んだ。  学生風の三人組や一人でふらりとやってきた老人、会社帰りの中年女性の二人連れなどが訪れ、さほど広くない食堂は、あっという間に満席になってしまった。  湯気やひといきれでなんとなくガスった感じの店内に、人々の話し声や笑い声が、ぼんやりと響いていた。郁乃は、食べ物や飲み物を運び、空になった皿を片付け、休むことなく働いた。この店の中に広がるまったりとした空気に身をゆだね、何も考えず体を動かしていることが心地よかった。  誰かが出て行くと、誰かが入ってきた。不思議なことに、誰も代金を支払っている様子がない。だが、おかみは気にする様子もなく、明るく声をかけ客を送り出していた。  たぶん、みんなおかみの知り合いなのだろう。中には、郁乃にもなんとなく見覚えがある人物もいた。どこの誰なのかははっきりしなかったが――。  だれもが思う存分食べて飲んで、十分に満たされた顔になって店をあとにした。  店の外の暗闇へ踏み出した人は、いったいどこへ向かうのか――。迎えの車が来ている様子もないのに――。  気がつくと客の姿は消え、店の中にいるのは郁乃だけになっていた。  厨房からは、おかみが器を洗う音が聞こえる。仕事をしながら、鼻歌を歌っている。郁乃が子どもの頃によく聞いた歌――。  だが、まだ閉店ではない。肝心の待ち人が来ていないのだ。その人物が必ず来ることをなぜか郁乃は知っていた。その人物というのは、たぶん――。
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