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 しろやぎさんからおてがみついた。  くろやぎさんたらよまずにたべた。  しかたがないのでおてがみかいた。  さっきのてがみのごようじなあに。  昨晩、五歳になる娘の涼子が、来週、幼稚園で行われるお遊戯会に発表するからと、風呂上りにノンアルコールビールで焼酎を割って飲んでいた父親、冨野司に「パパ、上手にできたから見ていてね」と両手をあげ、手のひらを左右にひらひらと動かすふりつけをそえて、元気に歌って見せてくれた。  調子はずれなメロディーで歌う涼子は可愛いというよりも滑稽で、なんだか中途半端な道化師でも見ているような気分になり、冨野は笑いをこらえるのに必死だった。  しろやぎさんからおてがみついた。  くろやぎさんたらよまずにたべた。  しかたがないのでおてがみかいた。  さっきのてがみのごようじなあに。  耳に入ってくる、明るく愉快な、よく通る女性の歌声は涼子と違い、きちんとメロディーに沿っている。  いかにも子供向け番組に出てくる、カラフルな衣装をまとった、どこにでもいるようではあるけれどもよく見ると愛らしい顔つきをした「歌のお姉さん」を、条件反射みたいにイメージさせられてしまう。  しかし、ここは冨野が家族と住んでいるマンションではない。  彼が勤務する、都内にあるオンラインゲーム制作会社の自社ビルである。  学生時代に起業し、まだ二十代後半で都心に三階建ての社屋兼住居をかまえるとは、よほど才能がある人物に違いないと、もうすぐ四十代に手が届く年齢にもかかわらず、営業部ではいまだに係長というわが身と比べて悲嘆にくれるときがある。  一階には受付とミーティングルーム、二階には営業と彼らをサポートする営業事務が集まるオフィスルームとゲーム制作をするスタッフがいるクリエイタールーム、三階は社長室と住居にわかれており、いま冨野は二階にある自分の机に座ろうと、妙に明るいオレンジ色をしたタイルカーペットの上を歩いていたところだった。  眉間にしわを寄せ、冨野はひとりごちる。 「イヤホンぐらいしろよ、ったく……うるせえな」
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