予想外の正体

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 しばし、無言の時が流れた。畳の色はもう夕日の赤ではなく、行灯の白に染まっている。外では風の音が鳴っているが、御簾はほとんど動かなかった。  首を垂らしたまま微動だにしないおなつを、奥方は静かに見下ろしていた。そして、諦めたように息をつく。 「……端女にあれやこれや言ってもせんなきこと、か。  望んだものが手に入らなかったからと不平をこぼすは、月を欲して泣く子供のごとし。今のは忘れよ」  おなつは頷いて応じる。しかし、紛れもなく本音だろう。 「見込み外れとはいえ、そちは現代を知る貴重な人間じゃ。物の道理はわからずとも、差異くらいはわかろうて。ゆえに、私のそばに寄ることを許そう」  奥方が御簾のわきに控えていた女中に目を遣ると、女中はすっと背筋を伸ばした。 「そこのヤマメは私付きの女中じゃ。  私がここを退く春まで、私の元に通い、かれに腰元としての振る舞いを学ぶがよい。少しはその縮こまった背も伸びるであろ。なに、旦那様には私から口添えしておく」  とんとん拍子に話を進められるが、もとより返事ははいしか認められていない。おなつは腰元である女中に深く頭を下げた。 「おなつと申します。どうぞよろしくお願いします」 「こちらこそ、どうぞよしなに」  平坦な声が耳を打つ。硬い態度のおなつに、奥方は初めてわかりやすく笑い声を上げた。 「ホホ、魚相手にまで仰々しいこと。少しは力を抜きなさい」 「はいっ」  おなつは反射で返事をしたが、次の瞬間に勢いよく御簾を仰いだ。 (魚!? そういえば今、この方をヤマメと――)  ヤマメといえば、川で捕れる魚である。村の川では取れないが、屋敷で酢漬けを食べたことがある。 「旦那様は水神ですよ。その眷属ならば、おのずと見当がつくでしょうに。  それにしても――ホホ、そんなに目を丸くして。そちのほうがよっぽど魚らしいのう」  堪えられないといった様子で笑みを滲ませる奥方に、おなつは慌てて目を瞬く。そして、信じられない気持ちのまま、もう一度女中に顔を向けた。  それでも彼女は美しくそこにあるだけで、川を泳いでいる魚のようには見えなかった。
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