雨七日の神隠し

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「あーあ、いやになっちゃうわ」  習い事からの帰路に就くなり、加代子はそう言って石を蹴り上げた。黒い小石がコロコロと転がる。 「昨日も一昨日もその前もずーっと雨。鯉に餌をやれないし、毬もつけないし、お部屋でお手玉ばっかり。いやになっちゃう!」  憤慨しながら両腕を振って歩く加代子は、着物の色も合わさってまるで金魚のようだ。腕を振るたびに赤い裾が揺れている。  本来ならば行儀の悪さを窘めなければならないが、おなつは曖昧に微笑んだ。  むっつになったばかりの女の子が、来る日も来る日も部屋に閉じ込められているのだ。唯一外に出られる機会が琴の稽古だけとなれば、その帰り道くらい、大目に見てもいいだろう。  下駄を踏み鳴らして歩くから、後ろから見えるおかっぱ頭が大きく左右に揺れている。 「雨、早く止まないかしら。お姉様もお母様もとっても悲しそうな顔をなさるのよ。それに、みんな元気じゃないから、私まで元気じゃなくなっちゃう」  ここ数日、本田家の屋敷内は水を打ったように静寂に包まれている。  いつもなら朗らかに響く女中仲間の笑い声もすっかり鳴りを潜めていて、喪中のような空気が屋敷を覆っていた。なにも説明されていない加代子でも、よくないことが起きようとしている雰囲気は感じ取れただろう。 「昨日は美代子様がお顔を見せに来てくださったではありませんか、お嬢様」  加代子の機嫌を取ろうと嫁入りした長女の名前を出すと、加代子は勢いよく振り返った。 「そうだわ! 美代子姉様が帰ってきたんだった! きれいな櫛もくれたのよ!  それにそれに、雨があがったら舞台にも連れてってくださるって!」  約束したときの嬉しさを思い出したのか、加代子の頬が真っ赤に紅潮した。おなつは笑みでそれに応えようとしたが、口元はうまく上がらなかった。  加代子の笑顔は好きだ。あどけない笑みは胸の奥を優しく温めてくれる。  そのはずなのに今、胸を満たすのは刺すような痛みだけ。その笑顔が明日には陰るであろうことを、おなつは知ってしまっているのだ。 「お嬢様、そろそろ」 「はーい」  端的に呼びかけると、加代子は素直に立ち止まった。  差し伸べた手に視線が注がれるのを恥ずかしく思いながらも、おなつは腰をかがめて加代子の頭上に傘を広げる。  ぽつぽつと鳴り始めた雨音に耳を澄まし、加代子が頭を揺らした。 「どうして加代子のおうちばっかり雨なのかしら。先生の家は全然降ってないのに」  おなつはただ、黙って傘を傾けた。
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