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厨の入り口に立ったおなつは、しばしそのまま立ち尽くした。
厨は今まさに調理の終盤で、とてもじゃないが声をかけられるような雰囲気ではなかった。
火を使っているのもあるけれど、料理人の熱気が入り口からでも感じられる。
来るまでに何人かとすれ違ったけれど、みなおなつを一瞥するだけで忙しげに去っていった。
こればかりは、時期が悪かったと思うしかない。
自室に戻って出直すという手もあるけれど、なるべく早く手紙の主と顔を合わせておきたい。
厨に来るように指示されているのをいいことに、おなつは厨の入り口の端に控えた。置ける場所がないので、お盆は手に持ったままだ。
まだ仕事に不慣れだった頃、お盆を持ったまま屋敷内を右往左往したことを思い出し、少し恥ずかしくなる。
配膳用の台には御膳がやっつ並べられている。
この屋敷に住む、あるいは宿泊している貴人は、今のところ八人らしい。火を使わない料理はすでに小鉢に盛り付けられているが、どれも見た目が華やかだ。酢の物に入っている小海老の赤が色に映える。
(なにか焼いてるけど、魚じゃない。あの黒いのは、焼き物用の鍋?)
肉を焼く音とともに、味噌の焼ける香ばしい匂いがする。
料理人が浅い鍋を振っていて、となりに立つ女性が細かく指示を出していた。かと思えば、汁物の味見を請われて豆皿に口をつける。
立ち振る舞いを見るに、彼女が料理長なのだろう。声には張りがあって、貫禄があった。
その後も女性は如才なく動き回り、調理が終わって配膳係が御膳を運び出すと、バチッとおなつに視線を合わせた。瞬時におなつの背筋が伸びる。
「待たせてごめんなさいね。こちらへいらっしゃいな」
女性は優しい口調でおなつに声をかけた。気品に満ちた声だ。
「お、遅ればせながら参上いたしました」
お盆を掲げるようにして頭を下げる。すると、女性は気さくに相好を崩した。
「そんなに畏まらなくていいのよ。水名椎様から話は聞いているから。
ああ、器は頂くわ」
おなつの手からさっとお盆を取り上げ、洗い場に持っていく。
洗い場ではすでに調理に使われていた調理用具の片付けが始まっていた。
「あの、私も洗い物を」
「あらあら、働き者ね。
でも、仕事はあとで。私の休憩ついでになるけれど、貴方の話を聞かせてちょうだい」
そう言われてしまうと無理にとは言えない。とはいえ、麒麟児との一件で前のめりになっていたところもあるので、おなつは素直に頷いた。
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