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厨の隅に置かれていた丸椅子を持ち、先ほど料理が置かれていた台の前に座る。
賄いはここで食べることも多いのよと、女性は笑った。
椅子に座ってから気付いたけれど、女性は思っていたよりも小柄な体型だった。
調理中は、その堂々とした身のこなしが彼女を大きく見せていたのかもしれない。
「私は絹。この社で料理長を務めています。貴方と同じで人間よ」
安心させるように微笑む目元に、うっすらとしわが寄る。
「私は、おなつと申します。商家で奉公をしていたところ……その……水名椎、様の温情でこちらに」
絹に合わせて神――水名椎の名を口にするものの、言い馴染みのない発音に舌がもつれそうになる。
「ふうん、温情ねえ……。まあ、私も水名椎様の温情で好き勝手に振る舞わせてもらってる身か」
おなつの物言いに少し引っかかったようだが、追求せずに絹は話を続ける。
「奉公先ではどんな仕事をしていたの?」
「家事全般です。下女中でしたので、屋敷の下働きをいろいろと」
「下女中? 下ってことは、上女中もあるのかしら。どう違うの?」
「上女中は旦那様や奥方様のおそばに控える方々です。下女中は下働き全般を担当していまして、身分も違います」
「ああ、上女中というのは腰元なのね」
得心したというように頷く絹。
おなつにとっては腰元という言葉のほうが耳馴染みのないものであったが、絹に合わせて頷いておいた。
上女中は良家の御令嬢が花嫁修業をかねて奉公することが多いが、下女中は農村から連れてこられた子供が多い。おなつも、ななつの頃から九年働いている。
本田家当主は商人だからか、身分にさほどこだわりのない人だった。
それは娘にも受け継がれていて、加代子などは遊び相手に下女中を指名することもあった。
神隠し騒動で人手が足りなかったのもあるが、下女中のおなつがお稽古事の送り迎えをするのも、本来ならばありえない。
「私はおもに水仕事と針仕事をしていました。洗濯や繕い物が得意です」
「あら、それは助かる。私、料理以外はとんと縁がないから」
「現世では料理屋を営んでいたのですか?」
「いいえ? 料理なんて一回もしたことがなかったわ。料理ができる身分でもなかったし。
だから言ったでしょう、好き勝手してるって」
茶目っ気たっぷりな笑みは、ここに来たばかりの年頃の笑みなのだろう。
雨七日の神隠しは、伝承であり、慣習ではない。
彼女が隠されたのは、今の時代よりも遙か昔の出来事のはずだ。絹が見た目通りの年齢でないことは明らかだった。
「貴方も、使用人として雇われたとはいえ、したいことがあったら言ってみてもいいのよ。
元は嫁として迎え入れられたのでしょう?」
「ああいえ、私は嫁ではなく――」
「嫁入りしたのではないの?」
どうやら、水名椎から事のあらましすべてを聞いているわけではないらしい。
絹の口振りからすると、彼女自身は嫁として迎えられていたようだ。
そうなると、身代わりでここに来ましたと口にするのは決まりが悪かった。最初の最初は生け贄だと思っていたから、より一層。
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