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「まあ、事情はいろいろあるわよね」
次の言葉を紡げずにいると、間を埋めるように絹が言った。食い入るように頷きながら、話題を変えようと口を開き直す。
「そういえば、食客の方とお会いしたのですが」
「ああ、子供みたいな姿をされている? あの姿だけど、私たちよりずっと年上だから気をつけてね」
「は、はい。それはもう」
見るからに人間ではない空気を放っていたし、間違っても子供扱いはしないだろう。そんなことをしたら、罰当たり者と罵られそうだ。
「私が嫁入りしたときにはもういたのよね。ずっとあの姿でおられるのだけど、最初の頃はいろいろと大変だった」
懐かしむような瞳で絹が笑う。
「私はあまり後ろに下がる性格じゃなかったから、衝突も多かったの。うふふ、恥ずかしいわね、こんな話。それであの方がなにか?」
「あ、その……私もあまり、うまく話せなくて、ご機嫌を損ねてしまったようで」
「まあ、新人いびり? すぐに言い含めます」
「いえ! いえその、私が不甲斐ないばかりに誤解を招いてしまっただけで、あちらに落ち度は!
使用人であると名乗らなかったせいで、奥方と勘違いさせてしまいまして!」
話が思わぬほうに向かいそうで、慌てて弁明する。
絹の様子では、その足で麒麟児に文句を言いに行きかねない。
拙くも事実をありのままに伝えると、絹は浮かした腰を下ろした。
「ああ、そういうこと。一応奥様には敬意を払いますものね、麒麟児様は」
「えっと、麒麟の児? だと伺いました」
「そうそう。名前をおっしゃってくださらないからずっとそのままなの」
「と、言いますと?」
「麒麟児って、将来有望な優秀な子供のことを指すの、本当は。
あの方は麒麟の化身だし、末子だって言うから。旦那様がそのまま面白半分に麒麟児と呼んで、そのまま呼び名になってしまったの。
ああそうだ、麒麟はわかる?」
「いえ……」
「異国の神獣だそうよ。また今度、絵巻を見せてさしあげる。
そうね、鹿とか馬に似た――というと、あの方怒るのよ。言葉の綾ですのにね」
その言葉遊びはおなつにも通じた。馬と鹿。並べてしまうと意味が変わる。
「気難しい方だけど、元々気性が荒いそうだから、あまり心配しなくて結構よ。人が嫌いだって公言されてるくらい」
「人が、お嫌いなのですか?」
「ええ。人の形を取ってらっしゃるのにね」
皮肉じみたことを言いながらも、おかしそうに笑う絹。反抗期の子供を抱えた親のようだ。
「だから無愛想な態度を取られても、お気になさらなくて大丈夫。なるべく私や奥方様にも会わないように振る舞われているみたいだし」
「そ、そうでしたか」
人嫌いだというのなら、初対面のときのあの態度にも理解が示せた。おなつが粗相したのも、彼の苛立ちに拍車をかけたのだろう。
もう一度改めて謝りたいと思っていたけれど、人嫌いだというのならわざわざ会いにいかないほうがよさそうだ。
逆効果というか、逆鱗に触れかねない。
絹が調理台を見やった。
「おなつさん、なにか召し上がる?
若いから、お芋だけじゃ朝までにおなかが空いてしまうでしょう」
「いえ。いえ、そんなことは」
上背があるから大食漢と思われがちだが、そこまで食は太くない。
起きたばかりなのもあって、おなかはまったくと言っていいほど空いていなかった。
「だったら、これから仕事をひとつ頼みたいのですけど、よろしい?
食事の付き添いを代わってもらいたいの」
「はい、わかりました」
「よろしくね」
小気味よく頷いて立ち上がったおなつだが、絹の次の一言で硬直した。
「旦那様の今の奥方様が、貴方をお待ちよ」
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