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ふすまの擦れる音が耳に届く。香の匂いが強くなり、前方に人が座っているのが肌を通して伝わってくる。
「面を上げよ」
切っ先のような声が空間を裂いた。
おずおずと顔を上げると、広い部屋をふたつにわけるように御簾がかかっていた。行灯の光が、一段高いところにいる人物の影を照らす。そこには、姫君のほかにももうひとつ、小さな影法師があった。
「ちこうよれ」
水名椎の部屋と同じように、部屋の一辺は御簾が障子の代わりを務めていた。そちらからも夕日の赤が畳に色を差している。
御簾の影を数えるようにそろそろと歩を進めたおなつは、部屋のやや下手で端座した。御簾の手前、部屋の隅には、奥方に仕えているのであろう女中の姿もある。
「名を名乗ることを許す。申してみよ」
重圧が漬物石のように肩にのしかかっていた。頭を垂れたくなるけれど、顔を上げろと言われたばかりである。つばを飲もうにも、喉の奥まで乾き切ってしまってうまくいかない。
小さく喉を鳴らすに留めて、ようやく口を開いた。
「おなつと申します」
でしゃばるなと言い含められているので、問われたことにだけ簡潔に答える。すると、小さな影法師が上下に跳ねた。
「かか様、御簾を上げてもいい?」
御子息のようだ。弾むようなかわいらしい声が、奥方の張り詰めた空気を緩めた。
「食事中に動くのは行儀が悪いですよ。
これ、坊の御簾を少し上げよ」
奥方の言葉を受け、控えていた女中が御簾を上げる。
年は三つくらいだろうか。たいそうかわいらしいお子が、ちょこんと膳の前に座っていた。興味津々といった顔でおなつを見ている。うっかり笑いかけそうになるが、奥方の手前、お辞儀をするだけに留めた。
奥方が手を振り、御簾が落ちる。状態は元に戻ったけれど、お坊ちゃんのおかげで肩の重石は取れた。
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