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「おなつよ。そちの境遇は旦那様からすべて伺っておる。身を呈して主人を守るとは、じつに大義であったな」
奥方の話し方は、お絹と比べても古風だった。
今のところ意味のわからない言葉はないけれど、わからない言葉が出たとして、聞き返せないのは厄介だ。頓珍漢な返答をすれば不興を買うし、かといって意味を問うたりなんかしたら、教養のない娘と烙印を押されてしまう。
そういった意味では、問われるまで口を開かなくていいのはありがたかった。おなつの学のなさも、お絹は見越していたのかもしれない。
「どうやら、お絹になにか入れ知恵をされているようだが」
「っ!」
まさにお絹のことを考えていたので、露骨に目が動いてしまった。御簾越しに見えるはずもないが、奥方は不敵に一笑した。
「よい。私も田舎娘をいたぶる趣味はない。甲高く騒がれても億劫じゃ」
やはり、おなつの身分について好ましく思っていないようだ。正式に嫁として迎えられたわけではないにしろ、同じ形で旦那様に連れてこられた人間である。由緒正しい一国の姫君ならば、拒否反応を示してもおかしくはない。
「今も言ったとおり、忠義を尽くしたそちの振る舞いはねぎらってやろうと思うておる。でなければ、そちはこの香の匂いを知ることもなかったじゃろう」
奥方が袖を揺らす。部屋に焚き込められたお香の匂いは濃厚だが、御簾越しに外の空気が入ってくるので、鼻につくほどではなかった。
「私も武士の娘でな。仁義や忠義を重んじる人間は嫌いではない。むしろ好きじゃ。ゆえに、もすこし近づくことを許そう。ほれ、あと一歩つめてよいぞ」
促されるままに距離を詰める。
行灯は奥方の背後にあるので、近づいても顔は見えなかった。坊ちゃんのときは、うまい具合に顔を照らしてくれていたようだ。
「それで、そちはどうするつもりだ? 旦那様はあのとおり飄々としておられるが、お務めを果たせぬようでは困るぞ」
「お務め、ですか」
どうするつもりかと問われているのだから、ここは自分の意見を口にする場面だろう。おなつは慎重に言葉をまとめる。
「私は、旦那様にすべてを捧げるつもりでここまで来ました。どのようなお仕事でも、精一杯務めさせていただきます」
「ふむ? ……ははあ、またあのお方は。肝要なことを話してくださらないのだから」
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