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「そこにいるのはだれだ!」
反射で体が動く。
屋敷から人の影が見えた。提灯の明かりがゆらゆらと揺れている。さきほどとは違う男衆のようだ。廊下の端に立っていて、今にもこちらにやってきそうだった。
「おや、ちょうどいい」
神の涼やかな声が耳朶を打つと同時に、おなつの体を縛っていた恐怖の鎖が外れた。
(このままだと紀代子様の元へ行ってしまう!)
男が神の侵入に気付けば、たちまち大騒ぎになって人が集まるだろう。人々が押し寄せ、神に矛を向けるだろう。そうなった場合、倒れ伏すのは人間のほうだ。
どちらかが行動を起こすよりも早くと、おなつは男に向けて叫んだ。
「女中のなつです! 庭の鯉に餌をやっておりました!」
「なつ? ああ、お前か!」
男衆の声から警戒の色が消えた。神の反応が気になるが、恐くて顔を向けられない。
そもそも、一緒にいる男はだれかと言われたら、おなつには答えようがないのだ。 しかし、おなつの懸念が現実のものとなることはなかった。
「紛らわしい、なにもこんなときに餌などやらんでもいいだろう。さっさと部屋に戻れ、一人では危ないぞ!」
「え……」
予想していた問いがこなかったおなつは仰天する。
(神が、見えてない?)
人為らざる力で姿を消しているのだろうか。そう勘ぐりかけたおなつだが、後ろの神が小さく笑ったことで理由に思い至った。
今夜は庭の灯籠に明かりが灯されていない。
顔も識別できない暗がりで男衆がなつの存在に気付けたのは、傘という目印があったからに違いない。
そして、男衆と向き合っているおなつの背中から笑い声が聞こえたということは、神はちょうど真後ろに立っていることになる。
傘が神の姿を遮っているのなら、この大雨のなか、男衆が存在に気付けないのも無理はない。
合点がいったおなつは、安堵の息を吐きそうになりながら言葉を整える。
「餌をやり終えたらすぐに戻ります。お気遣いありがとうございます!」
「なにかあったら呼ぶんだぞ!」
「はい!」
もう遅い。神はすでに降臨している。
提灯の明かりが見えなくなったところで振り返ると、神はさきほどと変わらない穏やかな笑みを浮かべていた。神の存在をないがしろにしてしまったが、気を悪くしてはいないらしい。
二人きりに戻ってしまったことでまたもや意識が遠のきそうになるが、惚けてはいられない。見張りを遠ざけたことで覚悟は決まったのだから。
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