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「その顔は、道案内する顔ではないね」
おなつに神の顔がはっきりと見えているように、神もおなつの表情がわかるようだ。それでも楽しそうに笑う神に、おなつは唇を引き結んだ。
力で適わないのなら、言葉でどうにかするしかない。
紀代子を諦めてもらうには、代わりになるものを差し出さなければならないだろう。そしておなつが差し出せるものなど、ひとつしかなかった。
「ぶしつけであるとは承知ですが、お願い申し上げたいことがございます。
――どうか、私を代わりに連れ帰ってはいただけないでしょうか……!」
深く、深く頭を垂れる。震わせまいと思っていたのに語尾が揺れてしまった。
「私にお嬢様ほどの器量があるなどとは、口が裂けても言えません。ですが、私の命で、どうかご勘弁を……!」
使用人としてではなく、一人の人間として頭を下げる。
おなつにとって、本田家は光だった。
本田家にとってはおなつなど数いる使用人の一人にすぎないだろう。だが、ほかの使用人と分け隔てなく接してくれた彼らの優しさは、おなつの救いになっていた。
嫁のもらい手もない傷物として送り出された身としては、居場所をくれた本田一家にはなんとしても報いねばならない。
自らの命でお嬢様を救えるのならば、安いものだろう。
「命? それはどういう意味で言っているんだい?」
頭を下げているせいで、神の表情は確認できない。どんな感情がこめられた言葉なのかは、声音で判断するしかない。
しかし声音に変化はなく、おなつはただ、ありのままに心根を語った。
「私の命を貴方様に捧げます。なんでもします。煮るなり焼くなり、ご随意に。
ですからどうか、お嬢様だけはご勘弁いただきたいのです……!」
「……ふむ」
神の視線が全身を辿ったのが感覚でわかった。
供物にふさわしいか検分しているのだろうか。図体は大きいから、それなりに食いではあるはずだ。
「まず、顔を上げてもらえるだろうか。声が聞き取りづらい」
「っ、失礼しました!」
顔を跳ね上げると神と目が合った。
今まで獲物を狙う目で見られていたのかと思うとゾッとするが、怯んでもいられない。
品定めされやすいようにと腕を広げると、ああ、と神が声を漏らした。
「いや、肉を食べようとは思ってないよ。
見た目の通りに、ここ最近は人の食すものばかり口にしていてね。料理というものはそれこそ八百万で、飽きがこなくていい。
それに――人間を嫁に迎えようとしている者がその同族を食べるのも、おかしなものだと思わないか?」
最後の言葉にはわずかながら非難めいたものを感じた。
食われずに済むという安堵よりも軽率なことを口にしてしまった羞恥が勝り、おなつは再び頭を垂れる。しかし声が聞こえづらいと言われたばかりであることを思い出して、おずおずと視線を戻した。
まっすぐに見据えられ、身の置き場がない。
(どうしよう、機嫌を損ねてしまった)
神の食料にはなれず、不興まで買ってしまった。こんな状況では、交渉が受け入れられはしないだろう。
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