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大事な用。それを避けて現世に帰ったら、ここに来た意味はない――。ぼくは膝の上で両手を握りしめた。
「その……パパが時々……すごく落ち込む」
「クレイヴが? ……どうして?」
ぼくはおばあちゃんを見ないようにして、カナハート・タイムスの記事のことをぽつぽつ話した。たぶん、それをパパが見たことも。
聞き終わったおばあちゃんは何度か頭を振った。それから、部分月食の終わりかけた月を仰いだ。
「あの日は皆既月食だった――」
ぼくはうつむいて血の気のない拳を見つめた。ぼくは、甦らせてしまった。おばあちゃんが見た最後の光景を。
「――昇ったばかりの月は錆色に赤かった。そして――」
おばあちゃんの声は怒りを帯びて大きくなった。
「あのクッソジジイ――っと、子どもの前でそんなこと言っちゃダメね。とにかくあの運転手、皆既月食に見とれてたの。つまり、脇見運転。そして、私のことを……」
「それなのに、あのジジ……あの男、やって来た警察に『この人が自分で飛び出した』って、嘘ついて。私、その真横でふわふわ漂って、全部見てたんだから」
「悔しくて、悲しくて、クレイヴと私を引き離したコイツ、ぜったい許さない……と思ってたら、いきなりとんがり帽子が現れて、クレイヴの病気を治してくれるって言うじゃない? もちろん、そっちに乗っかったわ」
「私が『疲れて死にたい』って言った? たいして友達でもない『友達』が記者に適当なことを喋ったのよ」
荒く息を吐いたおばあちゃんに、ぼくはおそるおそる尋ねた。
「じゃあ、死にたいとか……言ってなかったの?」
おばあちゃんはきまり悪そうに視線を揺らした。
「あー。えーと。そういえば。口にはしたかも。だって、すんごく疲れたとき『マジで死ぬ』とか言わない?」
「……言う」
「だからって、死ぬ?」
「……たぶん、死なない」
「でしょ? 実際に死を選ぶ人は、たいてい黙ってそうするのよ」
おばあちゃんはぼくの肩を抱いた。「これが、ほんとうの話。クレイヴに伝えて。ぜんぜん、クレイヴのせいなんかじゃない」
ぼくは肺の一番奥深くから息を吐いた。そして、うつむいていた顔を上げた。
「絶対、伝える」
「お願いね。……ああ、クレイヴ……」
おばあちゃんはポロポロと涙をこぼし始めた。口の中で、何度もパパの名を呼びながら。
ぼくは、節くれだった丸太の硬さをお尻に感じながら、ただ座っていた。どうすればいいか分からずに。
――何を言えば?
ふっと、ママに似たような質問をしたことを思い出した。
肩におばあちゃんの手が置かれている。
ぼくはその手をそっと握った。パパの代わりに。
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