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第9話 神々の恋
この世に絶対的なものなんてあるのだろうか?
清果はずっと疑問に思っている。
あるのは危うき均衡の上に成り立っている刹那の瞬間だけではないだろうか?
自然の営みは高きから低きへ流れ、バランスを保とうとする。それだけのことのような気がしている。
だがそれは、とても不安定で落ち着かない状態。
少しでもどちらかが高く、あるいは低くなれば、その瞬間動きは逆流する。
人間はそれがとても苦手なのだろう。
だから、絶対を求める。
そうして安心したいのだ。
自分たちが持たぬ『絶対的なもの』を持っている者がいると信じたいのだ。
それが『神』であり、『閻魔』なのかもしれない。
絶対的な善悪など存在しないのに。
「毎日毎日人の過去を暴いて裁定を下す。こんな行いの、全てを捨て去ってしまいたい。それが私の本音だ。だが、その記憶を私の中から消すことはしたくない。それが私なりの彼らへの誠意だ」
閻魔の紅の瞳に確かな決意が宿っている。その美しい光を見つめることが、清果は昔から好きだった。それは狂おしいほどに愛おしく、切ない気持ちにさせる。
少しでも、その光を守りたくてしかたがなくなる。
「だが、彼らにその記憶はいらない。新しい命には罪も罰もいらないのだから。まっさらで清らかな状態で生まれ変わって欲しい。そのために、そなたがいるのだ。そして、そなたが彼らの記憶を消してくれると思っているから、私は安心して彼らに罰を与えることができるのだよ。清果。これからも私を支えてくれ」
清果の頬を、一筋の雫が零れ落ちる。
「閻魔様、申し上げましたでしょう。魂の浄化と忘却、それが私たちの役目であると。それは生と死のサイクル、自然の理は常に再生を繰り返すもの。人間も無意識に、その流れを守るために我々を生み出したのでしょう。閻魔様と私は共にいてこそなのです。絶対にお傍を離れませんからね」
「共に……」
閻魔の指先が清果の涙を拭い、琥珀色の瞳を捉えた。穏やかな声が甘えを帯びる。
「清果、せめてそなたにだけは、私を真名で呼んで欲しい」
「夢幻様……」
「その名もまた、我が存在の危うさを深くさせるだけだが……そなたに呼ばれると、悪く無いと思えるから不思議だ」
「夢幻様、夢幻様、夢幻様。何度でもお呼びします。言霊は決して消えたりいたしません。その言霊が示す存在も……」
言葉は途中で遮られた。常より熱を持つ唇が、清果の唇を塞いだから。
それから次々と清果の花弁を剥がしていく。清果もその指先を、閻魔の赤い上衣へと伸ばし、冷たい肌へと滑らせた。
川面を渡り終えた涼しい風が、窓から室内に流れ込んでくる。呼応するかのようにチリン、チリンと風鈴が鳴った。
でも、今の二人にその音は届いていないだろう。
神々の恋もまた、熱く切ない———
満足そうに笑みを浮かべ安らかな寝息をたてている閻魔の寝顔を眺めながら、清果もまた、満たされるのを感じていた。
そして決意を新たにする。
私は忘却の女神。
この世とあの世の狭間の川のほとりで、人々が望むと望まぬとに関わらずその記憶を消すのが役目。
でも時にはその力を、生きている彼らのために使うことも許されるはず。
それが彼らの幸せという気持ちに、どれほど役にたつのかはわからない。
もしかしたら、何の役にも立っていないかもしれない。
単なる自己満足かもしれない。
それでも———
ほんの一瞬でも、辛くて悲しい記憶を手放して穏やかな気持ちになってくれたら。
清果は今日も、新たな風鈴の種を待っている。
了
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