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「……なあ京極ちゃん。ワシ、言うたよな?半年も前から。明日は何が何でも有給。ずぇっっっっったい仕事なんか入れたらアカンて。」
「……ハイ。」
−−麗らかな陽だまりが心地よい春の京都に佇む、京都地方検察庁棗藤次検察官室。
どっしりした木製の机に手を置き、怒るわけでもなく、しかし確かな口調で自分を見据えて話す上司に、佐保子は手帳片手に申し訳のない苦笑いを浮かべる。
「で、ですが検事。どうしても検事でないと困ると、部長が…」
「ワシの代わりなんて!いや!ぶっちゃけ誰でもええやんッッッッ!!!下着ドロの裁判なんてっっ!!…せや!青柳さん姐さん辺りに任せたらよろしわ!姐さんの冷たい眼差しに冷酷無比な追求!きっと被告人も」
「生憎、青柳検事はその日別の公判が…」
「ほっ、ほんなら大塚!!!アイツ中学の娘おる言うてたから、きっと…いや絶対被告人を」
「その大塚検事も、噂によれば娘さんと初めての面会が取れてどうしても休みたい。棗すまんと…」
「ほっ、ほっ、……ああもうっ!!こんだけデカい箱やろっ!!とにかくワシはやらん!!明日は休むっ!!!!!」
「けんじぃ〜」
それは困るんですよぉと嘆く佐保子に、藤次はデスクの写真盾をズイッと突きつける。
「明日は目ぇに入れても痛ない藤太と恋雪の保育園のお遊戯会!!普段でも可愛い可愛いこの子等がっ!!特に初舞台の恋雪は兎の格好して踊る、最高に夢みたいな日ぃや!!!!せやから絶対休むッッッッ!!!リアタイするんや!!!!!」
「で、ですからぁ〜、検事しか手の空いている方が…」
「知らん!!!」
「けんじぃ〜」
ほとほと困り果て、どうしたものかと佐保子が情けない声を上げた時だった。
検事室の扉が開き、葵がひょっこりと顔を出したのは。
「け、刑事部長!!?」
「!」
目を丸くする佐保子と、ピクッとこめかみを揺らして態度を正す藤次を確認すると、葵はにーっこりと笑って部屋の中へ入って来る。
「ごめんなさいねぇ〜。何だか賑やかだったからつい気になっちゃって❤︎」
急な仕事を押し付けてきたと言うのに、その件に一切触れるどころか特に悪びれない彼女の物言いに、藤次はがなりたい衝動を必死に抑えて笑顔を作る。
「−−刑事部長。僕、明日はどうしても出れないので、下着泥棒の案件、他の検事をお願いできませんか?」
「あら嫌だ。それは困るわぁ〜。だって明日、私お仕事お休みして絢音さん達と観劇に行くんだから。」
「はあ?!!!」
「ひっ!!」
急に声を上げて立ち上がる藤次に佐保子は慄くが、葵は相変わらずニコニコ笑っている。
「可愛い可愛い孫娘の初舞台でしょう?もうワクワクしちゃって!主人なんか新しいビデオカメラまで購入してねぇ〜。私もおばあちゃんとして恥をかかせないよう新しい着物を」
「ち、ちょっと待った!!!!待って下さい部長!!!」
「あら。なあに藤次クン。お仕事引き受けてくれる気になったの?良かったわねぇ〜。京極さん❤︎」
「は、ははは…」
「そやのうて部長!!!なんで明日の事知っ……………ッ!!!」
思わずしまったと口を手で塞ぐ藤次に、葵は変わらずニコニコと笑いながら口を開く。
「あら〜。なあにその態度。…ひょっとして、私が何かにつけてあなたの子を構うのが邪魔だったから、意地悪して今回の事教えなかったの?」
「い、いやそれは…」
ダラダラと冷や汗をかく藤次に、葵は盛大にため息をつく。
「その点、絢音さんは素直で可愛い女(ひと)ね。ちょーっと「お願い」したら是非いらしてくださいって!!ホント、あなたには勿体無い出来たお嫁さんね❤︎そうは思わない?京極さん。」
「は、はあ…」
「〜〜〜ッッ!!」
−−正に蛇に睨まれた蛙。
ぐうの音も出ない自分を残して話はトントンと進み、結局、藤次の有給は消滅。
明日は出勤する運びとなった。
*
「絢音。」
「…ごめんなさい。」
−−深夜。
帰宅した自分を出迎えた妻の名を呼ぶと、開口一番に謝罪の言葉が聞こえたので、藤次は全てを悟り、ネクタイを解きながらカバンと上着を彼女に渡す。
「…怒ってる。よね?」
「別に。ワシでも歯が立たん相手にお前が勝てるわけないてわこてるわ。そやし、残念やなぁ〜。恋雪にもお父ちゃん観に行くえて約束してもうたし…」
「仕方ないわ。パパはお仕事なのって、何とか説得する。」
「あぁ、ワシそれ一番子供等に使いたなかったセリフやわぁ〜。ワシも散々言われて育ったクチやから、結構堪えるんや。あー…マジでこの仕事とあの人の部下言う立場呪いたい。」
「藤次さん…」
シュンとする絢音の姿に、藤次は少し言い過ぎたと反省し、宥めるような優しく彼女の頭を撫でる。
「そないな顔すなや。ちょい言い過ぎた。そうやもんな。言うお前も、辛いよな。すまん。」
「藤次さん…ホントにごめんね?」
「ええて。ワシの分まで、しっかり子供等の成長、見てきてや。」
「うん…佐保ちゃんからメールで聞いてるけど、明日、早いんでしょ?お風呂入って、早く休んで。お弁当は、唐揚げたっぷり入れるわね。」
「ん?んー…まあ、それはそれ。これはこれ言うかー…」
「ん?」
リビングのソファに荷物を置き、上着をハンガーに掛けてと手際よく行動していた絢音を壁際に追い込み壁ドンよろしく逃げ場をなくすと、藤次は彼女の後毛を耳にさらいながら、そこに妖しく囁きかける。
「部長に喋った事黙ってたお仕置き、せんとなぁ〜。「俺」の可愛い、絢音。」
「−−−−ッ!!それはッ!藤次さん仕方ないって……んっ!!!」
聞く耳持たんとばかりに深く口づけ、服の上から身体を愛撫しながら、藤次は絢音に不敵に嗤ってみせる。
「今夜は寝かさんで。精々部長や他の親御さんの前で、目ぇにできたクマの言い訳考えたらよろしわ。…ほな、先ずは風呂でしよか。可愛いお姫(ひい)さん?」
「−−−−−−−ッ!!!」
顔から火が出るほど赤くなった妻の肩を抱いて、藤次は言葉の通り一晩中彼女のしなやかな身体を抱き、精魂尽きて少しで良いから寝かせてと懇願する絢音をベッドに残し、夜が開け始めた白んだ空をベランダで眺めながら、タバコを蒸す。
「…今日も晴れそやな。良かった。藤太に恋雪。お父ちゃんは行けへんけど、頑張って来るんやで。」
そう呟いてみたが、可愛い我が子の晴れ舞台が見れないのはやはり堪えるのか、藤次は子供達の眠る寝室には行かず、身支度を整えて、逃げるように我が家を後にした。
*
「…ふう。何とか昼前に終わったな。この分やと、定時で帰れそやわ。」
−−−京都地方裁判所内の駐車場。
時計を見て一息ついた後、車内で先程の公判の資料に目を通す藤次をルームミラー越に見つめながら、佐保子は口を開く。
「検事、次の予定まで1時間程余裕があるのですが、少し寄り道しても良いですか?」
「ん?ああ、構へんよ。昼飯の調達か?ワシも弁当ないし、何ならどっか店でも入るか?」
「いえ。それよりもっと楽しいトコです。」
「?」
何だろうと小首を傾げながらも仕事に集中していたら、車がとある場所に横付けされる。
「えっ…」
その場所は、藤太と恋雪が通う保育園で、藤次はどうしてと言う顔で、運転席の佐保子を見る。
「お昼頃でしたよね?恋雪ちゃんの初舞台。半年も前から聞かされてたから、私タイムスケジュール覚えてて。だから、公判を朝一にしたんです。行ってきてください。検事。」
「そ、そやし今、ワシ仕事…それに部長もおるし…」
「その部長から伝言です。「任せたお仕事ちゃんとこなしたなら、特等席用意しとくからいらっしゃい」って。だから、行って下さい。ただし!1時間だけですよ?!無理くり作った空き時間なんですから!」
「京極ちゃん…おおきに!!」
「ハイ!」
そうして車を降りて、駆け足で講堂へ行くと…
「あ!来た!藤次さん!!」
「絢音?!なんで…」
入り口で待ち構えるようにいた妻に瞬くと、絢音はにっこりと笑う。
「部長さんに、藤次さんなら絶対来るって、待っててあげなさいって言われて、ずっと待ってたの。さ、こっちよ!」
「う、うん…」
そうして手を引かれやって来たのは、舞台が一番よく見える保護者席の中でもど真ん中の特等席。
ドキドキと胸を高鳴らせながら、プログラムが始まるのを待っていた時だった。
「あ!パパ!!」
「!…恋雪?!」
舞台の幕が上がり、甲高い声が聞こえた瞬間、周りが真っ白になり、意識が遠のいて行く。
−−−パパ、大好き。
*
「…ん。」
フッと、藤次は瞼を開けて目覚める。
「なんや…ワシ、確か保育園…」
寝ぼけ眼で辺りを見回すと、そこは自宅の寝室で、隣で絢音が気持ちよさそうに眠っていた。
一体どうゆう訳だと呆然としていたら、寝室の扉が開き、小さな女の子がやってくる。
「パパ、おしっこ…」
「こ、恋雪…」
「?…違うよパパ。寝ぼけてるの?私は藤枝。恋雪お姉ちゃんじゃないわ。」
「あ、ああ。せやったな。すまんすまん。お父ちゃんも寝ぼけとったわ。トイレか?よしよし…」
言ってベッドから立ち上がった瞬間、胸元のペンダントのガラス玉の中の白い花がキラリと輝く。
「…………」
「パパ?」
「ん?ああ、すまんすまん。今行くな。」
そうして藤枝をトイレに連れて行き、姉の藤香、藤子の眠る子供部屋に連れて行き寝かしつけた後、ベランダに出て、朝日の出始めた空を眺めながら、ペンダントに触れる。
「−−−お父ちゃん、いつか言うたもんな。パパって呼んでくれて。せやから、叶えてくれたんやな。ホンマ、ワシなんかには勿体ない、ええ子や。恋雪…」
グスッと鼻を啜りながら、藤太と恋雪の遺骨で作られた死花を握りしめ、藤次は1人涙を流した。
奇しくも、季節は恋雪の産まれた春の名残雪の日。
生きていれば中学入学の日を迎えるであろう初めての娘の誕生日に、今日は家族で墓前に会いに行こうと心に決めた、藤次なのでした。
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