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「ヨウコさん、でしたっけ」
清海おばさんの夫だった客は髪の白い小さな頭をわざとらしく傾げる。
――お前ごときの名前なんか覚えているわけないだろ。
薄ら笑いした顔つきと所作にそんな挑発と侮りが込められている気がした。
帰れよ、この白髪ジジイ。
喉元まで駆け上がってきた罵詈をグッとこらえる。
「死んだ彼女がどう言ってたか知りませんけど、こっちはある日突然置いてけぼりですよ」
隣に立つハルの白い半袖シャツの背がビクリと強張るのが空気で伝わった。
紫煙に混じって部屋全体にうっすら漂う線香の匂いが鼻先に浮かび上がってきて胸の奥が痛んだ。
「その前にも一度流産して、仕事も辞めて引きこもってたんです」
ふっと息を吐いて吸い殻と灰で半ば埋まった皿を見下ろして語る声は酷く苦いものを含んでいる。
「不安定で大変でした」
彫り深い三白眼気味の目は伏せると酷く沈鬱に見えた。
子供の目にも神経質な雰囲気だった清海おばさんのこの話は少なくとも本当なのだろうし、このお爺さんも結婚中はそこに苦しんだのかもしれない。
そう思ったところでまたせせら笑う風に小さな薄い唇が歪んだ。
「僕に他に女性がいると騒いでパソコンやら勝手に開いて見たり」
あはは、と乾いた声で嗤う。
笑ったために余計にひび割れたような皺の目立つ顔に一瞬、酷く淫らな表情が通り過ぎた。
ゾワッとセーラー服の背筋に悪寒が走る。
こいつはやっている。それで清海おばさんもおかしくなったんだろう。
「それでいきなり出ていって、お腹の子は自分だけで育てるからと」
こちらの思いをよそに故人の前夫はまた表情に元の端正さと品の良さを取り戻すと、新たに取り出した煙草にカチリと火を点けて吸った。
「女性は強いから」
やれやれ、といった調子で紫煙を吐き出す。
靄が懸かると皺が消し飛んでハルに良く似た中高い面輪が浮かび上がった。
「女に面倒事を押し付ける人はそう言いますね」
表情を消したために顔が小麦色の仮面じみて見えるお母さんは押し殺した声で言い放つ。
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