第二章:七夕の二人――清海《きよみ》の視点

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 それから後のことは途切れ途切れにしか思い出せない。  ダブルベッドの端に転がった、壊れた画面が開かれたままのノートパソコン。  全部脱がされた体には肌が粟立つほど冷え切った密室の空気(元夫はとにかく暑がりで家中の、特に寝室のエアコンの冷房は私が心地好く感じる温度よりいつも数度低く設定されていた)。  のしかかって体を揉みくちゃにしてくる相手の姿を極力視野に入れたくなくて瞼を固く閉じていた。  しかし、彼の指に触れられた部分の肉が腐って蛆虫が涌いてくる映像が瞼の裏に繰り返し浮かんできて叫び出しそうになるのを歯を食い縛ってこらえる。  新しいシーツと枕カバーに替えたばかりのベッドの上にはもう他所のシャンプーや私のものでない化粧品やデオドラントスプレーの香りはしない代わりに、相手が朝出たきり洗い流していない整髪料や汗の匂いがして噎せ返るような気がした。  耳にはエアコンの規則正しく運転する音と雨がバラバラとガラス戸を叩く音がどこか遠く響いてきた。  きっと、この人、大雨で今夜会う約束の女性とはおじゃんになったから、急に早く帰ってきたんだ。  そして、全てを察した妻に逆ギレした挙げ句、こちらの本当の気持ちなどまるで無視して身勝手な欲求の捌け口にしてくる。  二人きりの密室で生殺与奪を握られている自分には嫌でも逆らえない。  それを知っていて玩弄してくる。  結婚など売春だ。男からお金と命を握られて、自分の言いなりになって喜ばせなければ、他の女に替えるぞ、寒空の下に追い出すぞ、捻り殺すことも出来るのだと屈従を強いられる。少なくとも、私とこの人の関係性はそのようなものでしかない。  もう吐けないのに吐き気が襲ってきて空っぽの胃にキリキリするような痛みを覚える。  固く閉じた瞼からまた新たに溢れ落ちた涙を見られたくなくて顔を横に向けると、追うように耳元で相手の声が纏わりつく。 「ほら、もっとどうして欲しいのか言ってごらん」  お前なんか死ね。地獄に落ちろ。
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