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「ただいま」
ケーキの箱を手にして、髪の所々に融けかけの雪の欠片を載せたお母さんが部屋に入ってくる。
スルリと自分の手首を掴んでいたハルの手が嘘のように離れた――というより、力を失って外れた。
「外で小雪がちらついてる」
白髪の混じった前髪を黒い革の手袋で拭いながら、微かに鼻を赤くした小麦色の顔を微笑ませる。
「ハル君は来る時大丈夫だった?」
「ああ」
思わず二人ともレースカーテンの引かれたガラス戸に目をやるが、小花模様のレース越しにはすっかり暗くなったことしか分からない。
「大丈夫です」
低く答えるハルの声が別人じみて聞こえる。
振り向くと、相手はどこか安堵した風な面持ちでお母さんの方を向いて続けた。
「俺、ちょっと手痛いんでハンドクリーム塗ってもいいですか?」
――おばちゃん、これ使っていい?
小さな頃からお馴染みの少し甘えた調子と表情だ。
ハルは俺にはぎこちなくてもうちのお母さんに対しては昔のままの信頼が残っているのだ。
そう見て取ると、秘密を抱えた自分がまた後ろめたくなった。
ハルにとっての俺はもう気を遣わなくてはならない負担で、気のおけない兄弟、仲間ではないのだろうか。
「いいよ」
お母さんは答えてから痛ましげな表情に変わる。
「随分荒れちゃったね。痛いでしょう」
語りながら手袋を外すお母さんの手は荒れてはいないけれど、シミが浮き出て昔より老けてしまったと傍で見ていても判る。
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