第二十一章:偽りを断つ時――美生子十八歳の視点

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*****  あれ……?  教室に足を踏み入れた瞬間、担当の教員とは別人と分かるYシャツの後ろ姿が黒板に“本日”と白いチョークで記すのが目に入った。  今日は休講?  そう思う内にも“休”の字が新たに黒板に書き添えられ、教室内のあちこちからバサバサと机に広げたテキストやノートを片付けて立ち上がる気配が起こった。 “本日休講”  白チョークの四文字の最後の字が完成して並ぶ頃には、何人かの人影が自分の脇を擦り抜けて出て行っている。 「今日は先生が急病とのことで休講になります」  Yシャツの職員はまだ律儀に黒板を眺めている何人かに言い渡す風に告げた。  休みなんだ。  教室の後ろに立ったまま、汗だくの体にどっと疲れが押し寄せる。  とにかく遅刻にカウントされなくて良かったのだという安堵。  重い荷物を抱えて脇腹を痛くしながら走ってきたのが徒労に終わったという空しさ。  今日はもう授業はないから本来は神保町からそのままアパートに帰っても良かったのだ、むしろ大学に戻るまでの交通費が余計にかかったという口惜しさ。  三つが入り混じってきて何となくそれまで抱えていた本だけを近くの机に置く。  休講にはなったけれど、すぐに教室から出ていけとは言われないだろうから、ちょっと息をつこう。 “海上花列伝”  図書館で借りるには飽き足らず、古書街の一角でやっと見つけた一冊だ。
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