第二十一章:偽りを断つ時――美生子十八歳の視点

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「ホイションファ?」  不意に前から声が飛んできた。  実際の所、“ホイションファ”と日本語のカタカナでは表し切れない、習い始めの普通話(プートンホア)――いわゆる中国語の標準語でもない、しかし、どこか聞き覚えのあるアクセントの強い響きの言葉だ。  目を上げると、背の高い、色の浅黒い、切れ長い目に銀縁眼鏡を掛けた白い開襟シャツにベージュのチノパンを履いた男が黒革の鞄を手にして立っていた。  年の頃は二十代の後半だろうか。装いのせいか学生というよりは講師じみて見える。 「“Flowers of Shanghai”、ですよね」  流麗な英語とそれに続く日本語の硬さで外国にアイデンティティのある人だと知れた。 「あ、はい」  この中国古典文学の講義ではいつも斜め後ろ辺りに座っているけれど、一度も話したことはない相手だ。  まさか中華系とは思わなかった。  すると、相手は浅黒い小さな顔をふっと綻ばせた。 「あなた、いつも一番前に座っているけれど、今日は来ないから休みかと思った」 「そうですか」  今の自分の顔はきっと化粧が汗で崩れて酷いことになっているだろうと思いつつ、努めて微笑んで言葉を続ける。 「もしかして、あちらの(かた)ですか?」  あちらとはどちらだとは口にする自分でも思わなくはないが、とにかく日本(こちら)ではない側だ。
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