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「香港から来ました」
笑顔で頷くと、相手は黒鞄からペンを挟んだ手帳を取り出した。
「タム・ガーミン」
日本語で話す時よりもくぐもった声で告げながら罫線の引かれたページの上に記して示す。
その所作と共にサッと青葉の樹木めいた香りが鼻先を通り過ぎた。
“譚嘉明”
画数の多い漢字でも潰さずにはっきり綴る、確固としていながらおおらかな筆跡だ。
「英語名はテディと言います」
テディ、とそこだけ癖のない英語で発音すると銀縁眼鏡の奥の切れ長い目が人懐こい風に細くなった。
この人、ハルに似てる。
最初から漠然と感じていた印象がはっきりそう固まると、胸の奥が温かに和らぐのを感じた。
この人なら、女の心で本当に好きになれるかもしれない。
真っ白なシャツを着た相手からまだうっすら漂ってくる青葉の樹木に似た匂いを吸い込みつつ、これはきっとコロンだ、地味に見えて案外お洒落な人だと推し量る。
同時に事あるごとにシトラスのデオドラントスプレーをトイレで吹き掛け直している自分を暑苦しく感じた。
今は汗だくで駆けてきたけれど、それまでのスプレーの匂いと混じって他人には凄く臭いかもしれない。
目の前の相手は飽くまで穏やかに微笑んでいる。
「テディさんと仰るんですね」
微かにまた胸の奥で暗い穴が渦を巻き出すを感じつつ故郷の幼馴染みに似た異邦人に微笑み返した。
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