第二十一章:偽りを断つ時――美生子十八歳の視点

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「僕の父みたいなおじいちゃんになったチョン・コーウィンはちょっと想像できないな」  固く真っ直ぐな黒髪の頭を傾けてテディは笑った。 ――こっちはある日突然、置いてけぼりですよ。  不意に、清海おばさんのお葬式で会った、まだそこまでの年齢ではないらしいのに髪の真っ白だったハルの父親の顔と声が蘇った。 「私も思い浮かびません」  いや、レスリーが仮に年を取ったとしてあんな性根の卑しい爺さんになるわけがない。  テディのお父さんだってもっと品の良い老紳士とかそんな雰囲気の人ではないだろうか。 「でも、案外孫を可愛がる優しいお祖父ちゃんの役なんてやっていたかもしれないですね」 ――どうして私を置いていくんだ。 「ルージュ」で梅艶芳(アニタ・ムイ)演じる恋人の霊に呼び掛ける、かつての育ちの良い美青年から堕落した老人になってしまったレスリーの姿が浮かんだ。  日本では「香港返還」とまるで香港が住む人たちごと品物であるかのように称された本土回帰の十年前に作られた作品だ。  あの映画では、実年齢では三十一歳のレスリーと二十四歳のアニタが――視覚的にはむしろ逆でアニタが姉さん女房じみて見えるが――戦前の香港で結ばれなかった恋人同士を演じていた。二人共もう亡い。 「チョン・コーウィンがお祖父ちゃんだったら子供や孫の役をやる人たちの方が大変だよ」  浅黒い笑顔がいたずらっぽくなった。  そういう表情をすると、いかにも快活そうに見える。  ハルよりこの人の方が大人だし、同じくらいの年の時もきっと明るかったのだろう。 「そうですね」  自分の答えに被せるようにして横から声が飛んできた。 「ここ空いてる」 「良かった」  隣のテーブルに学生風のカップルが腰掛けた。  自分たちは一体、どう見えるんだろう。  向かいのテディは穏やかに微笑んだ目でこちらを眺めている。  何となく目を落としてそろそろ溶けてきたフラペチーノをスプーンで掬う手を速めた。
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