第二十一章:偽りを断つ時――美生子十八歳の視点

46/47
前へ
/319ページ
次へ
「ミオコ」  風に紛れるほど密かな声だったが、確かに耳に届いた。  振り向くと、テディが寂しい面持ちでこちらを見詰めている。  形だけ指を絡ませていた二人の手がどちらからともなくはらりと離れた。  次の瞬間、銀縁眼鏡を掛けたキャラメル色の顔がジワリと熱く滲む。 「ごめんなさい」  俺なんかピエロ以下だ。  ピエロなら観た人から笑ってもらえる。  それなのに、今、すぐ隣りで手まで繋いでいたこの人は悲しそうだ。自分がそうさせたんだ。  両の目を潰したい気持ちで目の下から額までを押さえつける。 「あなたは本当にいい人だけど」  閉じた熱い瞼の裏は真っ暗だが、ブラジャーの上にフリルブラウスを着た背を静かに撫でられるのを感じた。 「いいんだよ」  穏やかな声が続ける。 「君の気持ちは君のものなんだから」  自分なんか可哀想でも何でもない。「普通になりたい」なんてエゴのために何も悪くないこの人を騙した加害者だ。  今だって、こんな道の真ん中で急に泣き出して甘ったれてる。事情を知らない他人が見れば、テディの方が年下の恋人を泣かせている悪い外国人の男と誤解するかもしれない。  どんだけ迷惑な人間なんだろう。  いっそ、テディも 「実は自分の心は女で君に恋愛感情は持ってない。偽装のために付き合った」 と言い出してくれないかな。  そうしたらいい友達になれる。  何なら偽装結婚して仮初(かりそめ)の妻としてあなたと他の男の恋愛を一生応援して添い遂げたい。  あなたが死んだら秘密を共有する仲間として心から涙を流したい。  しかし、隣からは静かに背中を擦る温かい手の感触しかしてこなかった。  それにはもうゾワゾワするような違和感を覚えなかったが、だからこそ悲しかった。
/319ページ

最初のコメントを投稿しよう!

15人が本棚に入れています
本棚に追加