第二章:七夕の二人――清海《きよみ》の視点

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――ジー、ジー、ジー……。  陽炎の揺れる視野に油蝉の鳴く声が響き始めた。  姿は見えないのに喧しく鳴く声だけは確かだ。  下腹部の浮腫むような違和感が蘇って、吐けないのに吐き気が込み上げた。  バス停の屋根の下に入っても、視野が翳っただけで纏い付くような蒸し暑さも、油蝉の耳に焼き付くようなジージー喧しい鳴き声も、路面からの排ガス臭い匂いも何も変わらなかった。 ――ジー、ジー、ジー、ジー……。  私はこれから半月以内に中絶手術を受けるんだろうな。  費用なら一応は働いている時に貯めたお金が銀行の口座に入っているから、それで賄えるはずだ。  それなら、わざわざあの人に伝える必要もないかもしれない。  お腹の子の為にやり直したい気持ちも中絶の為に負担を求める気持ちももうないのだから。 ――ジー、ジー、ジー、ジー……。  でも、これから帰って両親には話さなくてはいけないな。  そもそも「妊娠したかもしれないから病院でちゃんと診てもらう」と言って出てきたから、向こうも今頃結果を心待ちにしているだろう。 ――もしおめでたなら、もう一回、洋亮さんと話し合ってやり直したら?  これは出る前に母が言ったことだ。 ――ジー、ジー、ジー、ジー……。  でも、もう離婚すると決めたからには中絶するしかない。 ――ジー、ジー、ジー、ジー、ブロロロロ……。  向かいの停留所からは新たにバスが出たのに、私の待つバスはまだ来ない。  灰色のワンピースの背中や腋の下が濡れて体に貼り付くのを感じながら、乗るべきバスに早く来て欲しいような永久に来て欲しくないような気持ちが襲ってくる。  バスに乗れば多少は涼しく、蝉の声で煩くもない空間に移れるけれど、帰り着くのは出戻り、バツイチの娘のこれからに頭を抱えている両親の待つ家だ。
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