第二十五章:心に合わない器《からだ》、器に沿わない心――美生子十九歳の視点

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***** 「ハル、階段上がるよ」  貸した肩にズシリと重たい物が伸し掛かるのを感じながらどこか虚ろな目でふらついた足を進める幼馴染に声を掛ける。  こいつの部屋は二階だが、こちらのアパートにはエレベーターがないのが呪わしくなる。 「七夕なのに散々だなあ」  こちらの肩に凭れ掛かりつつ雨に濡れた革靴で煤けたモスグリーンのリノリウムの内階段を昇りながらハルは微かな酒の臭いと共に乾いた笑いを漏らした。 「お星様キラキラどころかゲリラ豪雨とか爆弾低気圧って天気じゃん」  サーサーと幾分遠のいた雨音が入り口から濡れたコンクリートの匂いと共に聞こえてくる。 「梅雨時だからね」  本来の旧暦基準の七夕は一月ほど先の真夏の夜だが、今の暦だと夜となく昼となく雨の降り続く間の悪い時季に設定されてしまう。 「昔っから七夕、嫌いなんだよな」  血の気の引いたままの唇をした相手は雨音に紛らすように小さな声で呟いた。 「どっかから切ってきた笹に色紙で飾り付けして、短冊に願い事なんか書いても何一つ手に入らない」  どう答えれば良いのだろう。  それとも、返事など期待されていないのだろうか。  相手はそれきり口を噤むとこちらに凭れ掛かっているのか引っ張っているのか判然としない体勢のまま階段を上がっていく。
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