第二章:七夕の二人――清海《きよみ》の視点

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「あらあら」  不意に隣の陽子が立ち上がる。  ふわりと勿忘草の香りがこちらに届いた。 「ああ」  こちらも思わず間の抜けた声を出す。  砂場では青いシャベルを左手に持った陽希が空いた右の手で美生子ちゃんの赤いシャベルまで取り上げていた。  美生子ちゃんはピンクのワンピースの小さな背とオムツのお尻を見せて砂の上に倒れ込んでいる。 「駄目だよ、陽希」 「ミオちゃん、大丈夫?」  私たちはそれぞれ我が子に駆け寄る。 「フエーン」  肌はほんのり桃色を含んで白いものの(これは父親の俊晴(としはる)さんに似たものだ)、陽子そっくりの円らな瞳をした美生子ちゃんは母親の腕の中で目からポロポロ涙を溢して小さな手足をバタつかせた。 「これはお友達のでしょ」  小さな右手から赤いシャベルを取り上げる。 「ワアアン」  左手に既に買い与えられた青のシャベルを手にした息子はまるで理不尽に奪われたかのように空の右手を伸ばした。 「もう自分の持ってるでしょ」  息子の左手を取って示しても、相手は固く真っ直ぐな黒髪の頭を横に振って泣き続ける。 「ヤーラー!」  どうやら「嫌だ、赤いシャベルもよこせ」と言いたいらしい。 「はい」  私は後ろを向いて赤いシャベルを苦笑いしている陽子に返すと、一歳三ヶ月にしてはもう大きくて重い息子の体を抱き上げた。  すると、ツンとフォローアップミルクの匂いがした。  陽希はとにかくお乳を欲しがるので生まれた直後から粉ミルクに切り替えて、今は離乳食とフォローアップミルクを併せて摂らせているのだが、とにかく沢山飲むので缶ミルク代がかかって仕方がない。  この金喰い虫!  陽射しの照り付ける砂の上に叩き付けたくなるのをグッと堪えてミルクの匂いを抱き締める。  息子の名前は表向きは太陽から、実際には陽子に(あやか)って「陽」、それから希望の「希」を付けたのに、私はこんな風に自分を抑えて強いなければ、この子に母親らしく優しく出来ないのだ。  そういう我が子への自然な情愛の欠けた自分に嫌悪を覚えるが、私を踏みにじって壊してくれた元夫と同じ性別で似通った面影を見せる息子がどうにも(いと)わしい。  乾いた自分の声が耳の中に響いた。 「男の子は女の子に優しくしないと駄目なんだから」
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