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「ええ」
極力落ち着いた、むしろ美生子より年上の社会人に見えるように意識してゆっくり頷く。
「僕が無理に産んで欲しいと言ったので、産まれた後は保育園に預けるなり何なりして働きながら子供は育てます」
無理に、という言葉を耳にした瞬間、向かい合う相手の薄い眉の間にピッと罅じみた皺が寄った。
――馬鹿野郎。
――娘はやらん。
ドラマのこうした状況によくあるように向かいに座る相手が立ち上がって拳骨で殴り付けてくる場面を想像しながらグッとスーツのズボンの膝に置いた拳を握り締める。
そもそも俺は子供を産む以前に無理にしたのだ。そうとこの人が知ったら、殴られるどころか刺されてもおかしくない。
スーツの上から胸を刺され真新しいシルバーのネクタイを赤く血で染めて目を見開いたまま死んでいる自分と汚物でも始末した風に冷然と見下ろす父娘の姿が浮かんだ。
しかし、向かいに座す父親も、隣に腰を下ろしている美生子も、まるで大切な人の通夜のように沈痛な面持ちでこちらを見返すだけであった。
斜向かいの陽子おばさんだけがどこか知っていた風に穏やかに頷いている。
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