第二十九章:母体――美生子十九歳の視点

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「ダーリンもこれから生まれるベビちゃんのために忙しいのかな?」  ダーリン、とはしゃいだ風に笑う相手の笑顔に胸が痛くなる。  美咲の中では――というより他の知り合いの中でも――自分は一時期は年上のテディと付き合って、今は幼馴染の恋人とできちゃった結婚した、そんな平均より男好きなくらいの「普通の女」なのだ。 「まあ、向こうはもう社会人だからね。今年入ったばかりの新入社員だし」  今の自分は「笹川美生子」。笹川陽希の妻だ。LINEだと「笹川 長橋 美生子」と現在の姓と旧姓が並んだアカウント名になる。  LINEではちょくちょくそんな女性名を見かけるが、昔の中国で「蒋介石(しょうかいせき)夫人の宋美齢(そうびれい)」という意味で「蒋宋美齢(しょうそうびれい)」とか呼び習わしていたのに似ている。  ハルは「笹川陽希」のまま変わらないのに。  婚姻届を出す際に自分は長橋美生子のままで相手に「長橋陽希」と改姓する要求も出そうと思えば出せただろうが、それはしなかった。  生まれてくるのは飽くまでハルの子なのだから、それならば自分を含めて全員とも笹川姓を名乗った方が良い。  その方が離婚して自分が長橋に戻った時も楽であるし――そこまで考えて、そういう自分にまた嫌悪を覚える。  このお腹の子が生まれたら、俺はどうするのだろう。  離婚して、子供はハルに託して、元の学生生活に戻るのだろうか。  その後は留学なり就職なりして何もなかったように一人で生きていくのだろうか。  そんな客観的には我が子を捨てるとしか言いようのない行動をハルはさておき自分の両親やハルのお祖母ちゃんといった人たちは許すだろうか。 ――これは年明けまで()ちますから良ければ食べて下さい。  もうすぐ曾孫の生まれる孫夫婦のためにあのお祖母ちゃんはこの前も林檎を一箱送ってくれた。  そして、今、目の前で笑っている美咲もどんな顔をするだろう。
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