第九章:女形の涙――美生子九歳の視点

4/6

15人が本棚に入れています
本棚に追加
/319ページ
***** 「覇王別姫」という途中から観た映画は少し難しい所もあったが、幼い頃に京劇(北京に伝わる中国の伝統演劇)の女形になった孤児の主人公を巡る悲劇だとは理解出来た。  体は男性なのに女性を演じることを子供時代から強いられ続けた主人公はいつしか自分の性別の認識が曖昧になり、一緒に育って舞台では夫婦役を演じる兄弟子に恋心を抱くようになる(そもそも『覇王別姫』とは京劇の有名な演目であり、劇中では主人公が虞姫、兄弟子が項羽を演じて当たりを取っている設定である)。  しかし、兄弟子の方では飽くまで主人公を弟としか見ておらず、妓楼で見初めた娼婦と結婚する。  主人公はこの兄弟子の妻になった元娼婦を敵視し、三人は愛憎の絡む間柄になる。  やがて文化大革命という中国全土を揺るがす政変が起き、旧中国の伝統文化を担う京劇俳優たちは迫害され、三人は公衆の面前で互いの過去を暴露して攻撃し合う。  娼婦だった過去を主人公から暴かれ、夫からも 「こんな女は愛していない。今日限り縁を切る」     裏切られた嫂は自ら命を絶った。  数年後、老境を迎えた主人公と兄弟子は再び舞台で「覇王別姫」を演じるべく再会する。  兄弟子とのやり取りで「自分は女ではない」と悟った主人公は劇中の虞姫に自分を準えるようにして死を選ぶ。  主人公を演じる俳優は京劇の化粧を施した時には艶やかな、素顔の時には清く柔らかな美しさがあり、そこに性別を越えたというか、むしろ両性具有的な魅力が感じられた。  色に例えれば、京劇の化粧を施した顔には(あか)や桃色、素顔には白や透明の麗しさがあった。  ふと引き出しに仕舞った透明方解石を思い出した。  この主人公の素顔にはそんな色の着かない、生成りの清らかさがあるのだ。  そう思うと、何故か引き出しの奥の鉱物までが急に価値ある物に感じられてきた。  さっきまではつまらないと思っていたのに。
/319ページ

最初のコメントを投稿しよう!

15人が本棚に入れています
本棚に追加