第十章:欠けたもの、得たもの――陽希十歳の視点

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「ハル、お兄ちゃんもいたんだね!」  サーシャは水色の瞳をいっそう大きく見開いた。  どうやら自分と一つ違いで顔形も似た雅希君を兄弟と誤解しているようだ。 「いや、お兄ちゃんじゃなくて再従兄(はとこ)と伯父さん」  このロシア人姉弟に「はとこ」と言って通じるだろうかと訝りつつ、同行の二人が兄や父ではなく親族でももっと遠い間柄であることを説明する。  俺は一人っ子でお父さんもいないのだ。そう思うと、再従兄父子とロシア人姉弟の間に立つ自分の場所だけ見えない線で区切られている気がした。 「ミオちゃんはプールでは泳いでないの?」  バービーじみたロシア人の姉の方がプール全体を見回してからどこか労るような柔らかな笑顔で尋ねた。  後ろに立つ再従兄弟父子の目線が自分をすり抜けてこの華やかな水着のロシア美人に見入るのを感じた。 「今日はうちだけで来てるんでミオは一緒じゃないです」 “うち”って何だろう。  本当のところは再従兄弟一家の旅行に自分たち母子がお情けで仲間に入れてもらっているのだ。  けれど、そんな説明までここでする必要はない。  プールから上がって暫くした体に濡れた水着が張り付いたまま冷えていくのを感じた。  塩素の匂いがツンと思い出させるように通り過ぎて鼻の奥が痛む。 「君たち、キョーダイでない?」  すぐ前に立っているロシア人の弟は水色の瞳をさっきよりもっと大きく見開いて“キョーダイ”のところを半オクターブ高い声で発音すると続けた。 「いつも一緒だから、ミオがお姉さんだと思ってた」 “キョーダイ”とは「兄弟」のことで、サーシャが、というより、このロシア人姉弟が、自分と美生子を実の姉弟と今まで誤解していたのだとそこで判った。  俺にとってのミオがサーシャにとってのターシャさんと同じ存在だと。  不意に、斜め上のギャラリーのある方角から自分を見下ろしている眼差しを感じた。  視線の主が誰なのか振り向いて確かめることは出来ないが、多分、俺が期待するような温かい笑顔を浮かべてはいない。  あはは、と空気が抜けるような笑い声の後に自分でもゾッとするような陰鬱な声が耳の中に響いた。 「違うよ」
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