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追放された私と再召喚された彼
「かわいそうなカヅキ。俺を捨てて手に入れたのは、罪人の称号なんてさ」
夢にまで見たような突然の再開。
言葉とは裏腹なひどく優しいくちづけに、彼が生きた人間だということを実感した。
「遊真……?」
「会いたかったよ、カヅキ。三年ぶり」
記憶とは違い、一つになっていた黒い瞳を細めると、彼はとろりとした笑みを浮かべて、また一つ、くちづけを落としてくる。
どうして遊真がいるのか、とか。
どうして遊真は私にくちづけているのか、とか。
疑問が浮かぶたび、遊真がちゅうっと吸いとるように食べちゃう。
(駄目だ。分かんない。お手上げ)
私は他人事のように遊真に体を差しだして、されるがまま、くちづけされる。
そんな私だけど、一つだけ分かることがあった。
それは、遊真がここにいることは絶対におかしいということ。
だって。
(だって彼は、私が元の世界へと還したのだから)
◇ ◇ ◇
遊真との出会いは三年前。
長引く隣国との戦を終わらせるため、一縷の望みをかけて、いにしえの召喚術が行われた。
勇剣の姫神子。
智鏡の姫神子。
和玉の姫神子。
媛之国の象徴たる三人の姫神子が、神力をそそいで成した召喚術。
なんでも良かった。
国を滅ぼすといわれる幻獣でも、この世界より発展した異世界の武器でも、万世の智慧を修めた魔導書でも。
だけど私たちの前に現れたのは、何の力もない非力な少年で。
その場の誰もが落胆した。
これならむしろ、三人の姫神子を戦場に送っていた方が何倍も有益だった。
召喚術を指示した大神官はすぐにこの召喚を無かったものにし、私たち三人の姫神子を戦の最前線へと送りこんだ。
そうなれば当然、毒にも薬にもならない異界の少年は捨て置かれる。
見捨てられた少年は訴えた。
「元の世界に帰せ!」
不要だと切り捨てた大神官は、彼に対してこう答えた。
「この戦を勝利に導くことができたら、お前を召喚した三人の姫神子を再び集めてやろう」
その言葉の裏にはどうせすぐに死ぬだろうっていう大神官の思惑が見え隠れしていて、その話を聞いた私は激高した。
私は和玉の姫神子。
人の仁を司る姫神子だったから。
こんな不条理を見過ごすなんてこと、できなくて。
だから私が彼を預かった。
遊真と名乗った男の子は、私より二つ年下の十六歳だった。なのにそそっかしい私よりも落ち着いた雰囲気を持っていて、たまにドキッとするくらいの大人びた表情を見せた。
戦に対しても、最初こそ青ざめて私の後ろで立ち尽くしていたのに、気がついたら私の隣で、前で、私を守るように戦っていた。
けれどその裏側で、この理不尽な世界を受け入れるしかなかった彼の心が磨耗していったのは必然で。
一番そばにいた私がその事に気がつかないわけがなかった。
だから私は決意したんだ。
彼を元の世界に還してあげようって。
戦の合間に、送還術の研究をした。
一年もかかってしまったけれど、なんとか送還術の確立をさせた。
戦もいよいよ終盤になって激戦が続く中、限界まで消耗した神力がほのかに充填された、僅かな休息時間。
そこで私は彼を――遊真を元の世界へと還した。
遊真の覚悟や思いとか。
大神官の意向だとか。
送還術を一人で行使することの危険性だとか。
本当は遊真にも、この世界の綺麗な場所を見せたかったなっていう、私の淡い乙女心とか。
そんなもの全部無視して、遊真を元の世界に還した。
だから。
「……この状況は絶対におかしいんだけどなぁ」
「おかしくないよ。カヅキは俺に会えて嬉しくない?」
「そんなことない。また会えて嬉しい」
媛之国の中でも、人の寄りつかない山奥にある小さな草庵。
世間から隔絶されたこの場所で、ぎゅっと私を抱きしめるのは、今生の別れを告げたはずの相手。
じっと遊真の瞳を見つめていれば、遊真がへらりと笑った。
(……だめだなぁ。遊真の顔を見ているだけで、全部、どうでも良くなっちゃう)
でもこれだけは聞いておかないといけない。
「遊真、どうやってここに来たの? どうしてここに来たの?」
「カヅキに会いたかった、じゃ駄目?」
「だめだよ。せっかく元の世界に還れたのに。それにここは危ない。来ちゃだめなところなんだよ」
「知ってる。聞いた」
「聞いたって、誰に」
「俺を喚んだやつらに」
そう言って笑う遊真。
私がその言葉に表情を消すと、遊真が私のこめかみにまた一つ、くちづけを落とす。
「そんな怖い顔をしないで。大丈夫、俺は前みたいに流されてここにいるんじゃない。自分の意志で、全部理解して、ここに来たんだから」
「全部って……」
「全部。カヅキが戦の責任を押しつけられて、この『化野の山』に封じられたことも。カヅキが俺を元の世界に戻した代償に、姫神子の神力を失って、天魔を呼び寄せる体質になっちゃったことも。……カヅキだけが、ひとりぼっちの俺を大切にしてくれたことも」
遊真の一つだけの瞳は、それ以上の感情を雄弁に語る。
居心地が悪くてそのまなざしから逃れようともがくけど、私の腰や背中をきっちりと抱いた遊真は逃してくれなかった。
「カヅキ、会いたかった。俺ももう、子供じゃない。カヅキに守ってもらわなくても大丈夫。そんな俺に、三日間だけ時間をくれませんか」
「三日……? どういうこと? 国はあなたを喚んで、何をしようとしているの!」
遊真は困ったように笑っているけど、ごまかさないで!
視線をそらさないでまっすぐに見返せば、遊真は私の肩に顔をうずめた。
そして本当に、本当に囁くような小さな声で、教えてくれる。
「また戦が始まる。俺はそのために喚ばれたんだ」
自分の顔が歪むのが分かった。
この世界には化け物がいる。
人を襲う悪しきそれは天魔と呼ばれ、その天魔から人々を守るための神力は媛之国でしか生まれない。
その力を手に入れたい人たちが、媛之国を襲い、戦が起こる。
それはもうずっと昔から変わらない、媛之国の悲しい宿命。
「媛之国も、もう限界だ。たびたび起こる戦に民は疲弊して、せっかく守った土地も踏み荒らされて、何年も実りがつかない。前の俺は自分のことばかりで何も見えていなかったけど、でも今は、それを助けてあげたいと思ってるよ」
ぐっと力を込められた腕や胸のたくましさに、私の知っている男の子はもういないんだと気がつく。
なのにその心根の真っ直ぐなところや正義感の強いところは、三年経っても変わらなくて。
大人になった遊真に、私はどう言葉をかけていいのか分からなくなる。
遊真には、遊真の生きるべき世界が別にある。この世界のために何かを成し遂げる義務なんてない。
そう伝えようと口を開けば、遊真が節くれだった長い指で私の唇を塞いでしまう。
「カヅキの意見はきかない。あの時、俺の言葉を聞かないで、元の世界に返したんだ。今度は俺のわがままを聞いてもらう番」
ずきりと胸が痛んだ。
遊真は怒っているのかもしれない。ろくに話もしないで、突き放すように元の世界に送り返した私のことを。
私が何も言えずに黙ってしまえば、遊真は満足そうに笑う。
そうして甘い毒で私を誘うように、囁いた。
「三日だけでいい。カヅキの時間をちょうだい。それだけで、俺はこの国を守る理由ができるから」
遊真の要求は、よく分からない。
でも、遊真が欲しいというのなら、私の時間なんていくらでもあげる。
そんなことで遊真の心が救われるのであれば、私はあなたに手を差し伸べる。
それが和玉の姫神子だった私の、譲れない矜持だ。
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