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後朝の朝はせつなくて
遊真との三日間は、胡蝶の夢のようだった。
甘くて、焦れったくて、もどかしくて……最後だけ少し激しい、夢現のような時間。
遊真と、この世界のこと、向こうの世界のこと、たくさん話した。
「左目は、事故でなくしたんだ」
遊真はそう言って笑っていた。
以前の戦で遊真は弓の名手とまで言われていたから、そんな彼が戦場に立つことに、不安ばかりが募っていく。
「どうか、遊真を守って……」
語らいの合間に、彼の黒い眼帯に守護のまじないをかけた。私のつたない刺繍で飾られた眼帯を、遊真は無邪気に喜んでくれた。
不思議な気分だった。
小さな草庵で、壁を隔てていても、そこにいる気配がある。
目が合えば微笑んで、話しかければくちづけが返される。
私は遊真のくちづけにいつも戸惑う。このくちづけの意味を知りたかったけれど、聞く勇気はとうとうでなかった。
「あのね、遊真。帰りたいと望むのなら、私がもう一度、異界に還してあげる」
「いらない。それよりもカヅキを感じさせて」
ふと、遊真の瞳に熱が孕む瞬間がある。そういうときは決まって私をぎゅっと抱きしめて、唇に深いくちづけを落とした。
甘くて、優しくて、ふわふわとした戯れ。
幸せだった。こんなにも幸せでいいのかと泣いてしまいそうだった。
だけど、私も、遊真も。
どこかでこれが最初で最後だと感じていたのかもしれない。
三日目の夜、甘いだけの関係にひびをいれるように、私たちは一線を越えた。
藺草の匂いが立ちこめていた草庵の狭い一室は、雄と雌が番った匂いに塗り替わる。
悲しいことに、遊真は一番欲しかった言葉をくれなかった。
三年越しの三日という時間は、忘れかけていた私のほのかな恋心を呼び起こし、私の体に再会した実感と忘れられない爪痕を残した。
後朝の別れは呆気なく、遊真は別れも告げず、まるで煙のようにいなくなった。
なんとも手酷い仕打ちだと、私は泣いた。
◇ ◇ ◇
遊真との再開で胸の内がひどく乱されてしまった私は、鬱々とした日々を送っていた。
どうしたら遊真と一緒にいられたのだろう。
神力で遊真を守ってやりたくても、神力だけではなく、姫神子の神器まで失った私では、戦場に立つことも難しい。
この草庵の周囲に張り巡らしている結界すら脆いもの。
天魔避けにはなっても、かつてのように剣や鏃をはじくような頑強な壁は作れない。
そんな私が行っても、足手まといになるだけ。
しかも今の私は和玉の姫神子ですらなく、ただの罪人だ。
媛之国の希望を闇に葬った咎人。
時を経て、遊真は再び召喚されたけれど、本来であれば遊真が私と会うことは決して許されなかったことだと分かってる。
きっと私と遊真の逢瀬を許した人は、私が何もできないことを知っていたから、この逢瀬を許したんだと思う。
私は何もできない。
力も地位も、名声も失った。
和玉の姫神子として、人の仁の心を司ってきたつもりだったけれど、それは何ものも生まず、たった一人の男の子でさえ運命から逃すこと叶わず。
悔しかった。
何も言わずに私を置いていった遊真が憎らしかった。
せめて弱音の一つも吐いてくれれば、私はあの子のためになんだってしてあげたのに。
また無気力に草庵の中で生きるだけの、一人ぼっちの日々に戻っていく。
そう思っていたら。
「あれは……?」
ある日、草庵の入り口にぽつりと落ちていた黒い布切れ。
見覚えのあるそれにたまらず駆け寄り、拾いあげた。
つたない刺繍が施された黒い眼帯。
間違いなく、私が遊真に贈ったもの。
それが、なんでここに。
「遊真……!」
胸騒ぎがした。
罪人だとか、無力だとか。
そんなものどうでもいいくらい、私の中で一つの衝動が湧き上がる。
「遊真に何かあったんだ。私が行かないと」
ここから出ることを決めた。
私はある意味自由だ。
化野の山を下ったことを知られれば殺されるかもしれない。だけど、こんな場所へ訪れるような酔狂な人など、誰もいないのだから。
私は唐櫃の奥底へ仕舞い込んでいた、戦装束を引っ張り出す。
梔子色の単に白の水干。
丈が大きく切り詰められた白い褶の上には、単と同じ梔子色の裙を重ねる。
そして紕帯に、素足を守るための脚絆に、手甲。
鎧なんてものはない。姫神子はその神力をもってして鎧と成すから、常に身軽だった。
私は戦装束を手早く身に着けると、髪も邪魔にならないように結い上げる。
本当なら、胸元に和玉の姫神子の神器である勾玉を飾るのだけれど、それは遊真を元の世界に還した際、永久に失われてしまった。
神力はわずかで神器もない。戦地へ向かうには心もとない、薄い戦装束。
それでも私は背筋を伸ばすと、数日分の食糧を麻袋に詰めこんだ。
「大丈夫。ほんの少しの神力はある」
私は草庵全体にかけていた神力の結界を解くと、化野の山から旅立つ。
「……遊真のばか。再び巡り会ってしまった以上、見て見ぬふりなんてできないよ」
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