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明火平野にて
媛之国に捕虜の引き渡しをするというので、私もそれに着いていくことにした。
場所は明火平野より、少しだけ北上した村。
グエンの馬に乗せられて、私は久しぶりに外の空気を吸った。空は相変わらずどんよりと曇っていて、あんまり幸先は良くなさそう。
上下きっちり返してもらった梔子色の戦装束の裾が、ぬるい風にふわりとなびく。
「こっちだ」
馬から下りると、会談場所である天幕へと誘われた。
天幕の内側には懐かしい顔ぶれが揃っていて。
「カヅキ!?」
「なぜ貴女が益荒国の人間と共にいるのです!」
声を上げたのは勇剣の姫神子セキレイと、大神官テッサ。
私は居心地の悪さを視線をそらしてごまかした。
「そんなん、俺と取引したからに決まってるだろ」
グエンが場を引っかき回すようなことを言えば、テッサが顔を真っ赤にさせる。
「なんという……! 我が国に害しかもたらさん大罪人めが!」
「こいつが大罪人ねぇ」
天幕に入ったグエンはテッサの言葉を聞き流すと、さっさと会談の席に着いてしまう。
「くだらん腹の探り合いはなしだ。さっさと終わらせようぜ。捕虜の引き渡しについて、こっちからの条件を提示しても?」
「もちろんですとも。それが強者の特権ですから」
それまで黙っていた智鏡の姫神子サーヤが、グエンの言葉に涼しい声で返す。
グエンは満足そうに笑うと、指を二本立てた。
「我が益荒国より要求するは二つ。一つは三柱の姫神子の神器」
「はぁっ!?」
「正気か貴様」
驚きのあまりに素っ頓狂な声を出すセキレイと、怒り心頭の様子で抗議するテッサ。サーヤもさすがに聞き入れられないのか、眉間に皺を寄せている。
三者三様の表情。まさかこんな大胆にグエンが要求するなんて思ってなくて、私は苦笑した。
「もう一つは三柱の姫神子の神力」
「貴様……!! 身の程を知れ!」
激高するテッサ。もう歳だから、そんなに怒ると倒てしまいそうで心配になってしまう。
はらはらしながら成り行きを見守っていると、グエンが喚くテッサを鼻で笑った。
「そんな態度でいいのか? こっちには切り札がある」
「切り札だと……?」
「天魔を根絶やしにする方法」
この場にいる全員が息を呑む。
圧倒的優位に立つグエンは、にやりと口の端を吊り上げた。
「神力と神器をくれる代わりに、てめぇの国から湧き出る化け物の尻ぬぐいをしてやるって言うんだ。破格の条件だろ」
「そ……っ、そんなもの信じられるか!」
「信じるも何も、こいつが言ったんだ。自分ならできるってな」
くいっと親指で示されて、全員の視線が私に向く。
テッサは親の敵を見るかのように私を睨んでいたけど、それを遮るかのようにサーヤが口を開く。
「カヅキ、その話は本当?」
「……私の話、聞いてくれる?」
お膳立てしてくれたグエンには感謝しかない。
智慧を司る姫神子のサーヤがこの場にいるのも僥倖だ。
私はグエンに話した、天魔と異界の関係を話した。
話すごとに、天幕の誰もが困惑の色をにじませていく。
「……夢物語にも近いですが、一定の説得力はありますね」
「なら、この条件を飲んでくれるか?」
「それとこれとは話が別です」
挑発的なグエンに、サーヤはぴしゃりと言い返した。
「この話が真であれば、その責は我が国にあります。なおさらその条件を受諾するわけには参りません」
「ならどうする?」
「捕虜の代わりにカヅキの即時返還を求めます。その分の代償はきっちりお支払いいたしますわ」
「やだね。こいつは俺のもんだ」
グエンがそばに立っていた私の腕を引くと、見せつけるようにして強引に私の首筋へと唇を落とした。
思わずグエンを睨みつけてしまう。
「んじゃ、交渉決裂ってことでいいか? 天魔がいなくなったら、その時は無条件に捕虜を還してやるよ」
「お待ちなさい! まだ話は……!」
席を立ったグエンを呼び止めようとして、サーヤもまた席を立つ。
その時だった。
ゾワッと肌が粟立つ。
私は顔を上げた。
サーヤもセキレイも、厳しい表情で一点を見つめる。
「……力を失ったって言う割には勘がいいじゃん?」
「全部失ったわけじゃないし」
「セキレイ、カヅキ、おしゃべりはやめなさい。……テッサ、皆に伝令を。結界の内より出ないように」
サーヤとセキレイが颯爽と天幕を出ていく。
テッサが伝令を走らせ、皆の安全を確保しだした。
「なんだ、どうした」
「天魔の気配。それもかなり濃厚な……もしかしたらアレかもしれない」
私が時折感じていた、化野の天魔。
暗にそのことを示せば、グエンは獰猛な笑みを浮かべた。
「おもしれぇじゃねぇか。そいつをどうにかすればいいんだろう? 手札も揃ってる。完璧じゃねぇか」
嬉々としたグエンはさっさと天幕を抜け出した。
もちろん、私の腕を掴んで。
「今さらできねぇなんて言わせねぇぞ?」
「彼女たちが協力してくれたらの話よ」
「するさ。媛之国だって天魔がいないに越したことはねぇんだからさ」
グエンはそう、うそぶいた。
天魔は明火平野から強い気配を醸していた。
馬で駆けて、明火平野へ向かう。
どんよりとした灰色の雲は、不気味にとぐろを巻いている。
グエンの馬に乗せてもらった私は、小高い丘の上から明火平野を見渡して、愕然とした。
「なんだこれは。全て天魔なのか」
グエンが唸る。
明火平野を覆う、一面の黒い靄。
天魔が有象無象と敷き詰まっていた。
「セキレイ、行きますわよ!」
「和玉がいないけどしょうがないねぇ!」
姫神子の中でも一番血の気の多いセキレイが、銀朱色の小袖をなびかせて、丘から跳ぶように空を駆けていく。
それに追従するようにサーヤも空を飛ぶ。青藍の打衣が空にひらめいた。
私は二人を視線で追う。
神力を物理的に発現させられるからこそできる荒業で、今の私にはできないことだった。
セキレイは剣。
サーヤは銅鏡。
二人は空へと浮かぶと、神器を捧げ持つ。
セキレイが剣を一振りすれば、燃え盛る炎のような緋色の神力が、津波のように天魔を燃やし尽くした。
サーヤが鏡で照らせば、静かに降りそそぐ雨のような瑠璃色の神力が、慈悲深く天魔をとかしていく。
これが姫神子の本来の力。
神器を持つ、姫神子の御業。
グエンも、この場についてきた益荒国の兵士たちも、あまりの光景に息を飲んだ。
「いつ見ても凄まじいな」
呆れたようなグエンの言葉。確かに、砂の山を崩すように天魔を浄化していく二人の神力は凄まじい。
これならなんとかなるかも。
誰もがそう思ったと思う。
一部の天魔が、こちらへと這いずってこなかったら。
「なんだ、天魔の動きがおかしいぞ」
「将軍、こちらへ向かってきています!」
「たぶん私だわ! グエン、私をおろして! 私が離れれば、あれらはこちらにこないから!」
「馬鹿か。てめぇだけ行かせるわけねぇだろ。お前らは後退しろ! 俺らは姫神子の膝下に行く!」
「はっ、え、将軍!?」
部下の声なんてお構いなしにグエンは馬の手綱をひいた。
私は慌ててグエンにしがみつく。
「ばか! 置いて行けと言ったのに!」
「馬鹿はてめぇだ! てめぇがいねぇで誰が天魔を異界に還すんだ!」
ぐっと言葉を飲み込んだ。
(確かに、そうだけど……!)
馬に揺すぶられながら、私はグエンの荒い手綱捌きに振り落とされないように必死にしがみつく。
唐突に馬が嘶いて、前足が大きく浮き上がった。
「きゃあっ」
「矢!? 誰だ射ったやつ!」
グエンが怒鳴る。
私も慌てて見渡すけど、すぐ側に射手なんていなくて。
また一矢。
今度はグエンの顔すれすれを通り過ぎていく。
「舐めた真似をしやがんなぁ……! あそこか!」
グエンの声に顔を上げた。
目を凝らして――呼吸が、止まる。
(うそ。なんで。どうして。)
痛いくらい、心臓が脈打つ。
ざぁっと血の気が引く音が聞こえるくらい、全身が一気に冷たくなった気がした。
「……おいおい、まじかよ」
さすがのグエンも、顔を引きつらせている。
私は、射手から目がそらせなかった。
黒い髪。
落ち窪んだ左目。
黒曜石の右目。
優しかった顔立ち。
長弓を構える凛々しい立ち姿。
視界がにじむ。
だめ。
こらえきれなかった。
「遊真ぁ……っ!!」
会いたかった。
追いかけた。
その人が、ここにいる。
天魔の群れを、率いて。
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