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残酷な世界で、私だけは優しくありたかった
遊真がいる。
遊真は私に微笑みかけると、おいでおいでと手招きをした。
無意識に体が動く。
今にも遊真の元へと行こうとするのを、グエンが捕まえる。
「離して!」
「落ち着け! あいつは死んだ! 俺が殺した!」
「うそ! 遊真いるもの! そこにいる! 遊真っ! ゆーまぁっ!」
どんなに暴れても、グエンが私を抱きしめる腕の力はびくともしない。
「聞け! あそこにいるのは天魔だ! あんたが好いた男は天魔の親玉なのか!?」
びくっと身体がはねた。
遊真を見る。
遊真の周りには、おびただしい数の天魔がいる。
天魔に囲まれて、遊真は笑顔で私を手招きしていた。
「正気になれ! あれはあんたの男じゃねぇ! 惑わされるな!」
グエンに叱られ、私は揺らぐ。
それでも遊真から目をそらせないでいれば、彼は悲しげな表情になった。
「カヅキ」
肩が跳ねる。
「カヅキ。こっちへおいで」
遊真が、呼んでる。
グエンが頭上で盛大な舌打ちをするのが聞こえた。
「おいどっちでもいい! 姫神子! あれをどうにかしろ!!」
グエンの叫びに、赤と青の神力が遊真を襲った。
遊真を含めた一帯の天魔が蒸発する。
「やだっ!! やめて!! 遊真が死んじゃう!!」
「何度も言わせんな! あいつは死んだ!!」
泣き叫ぶ私に、グエンが怒鳴り返した。
「いったいどういうことですの!」
「あれはユーマか!? あいつ、生きていたのか!?」
「死んだはずだ! 俺が殺した! この太刀で奴の心臓を貫いたんだ!」
サーヤとセキレイが私たちの馬のそばに降り立つ気配がした。
遊真がにんまりと笑っている。
「浄化が効いていない……!?」
「はぁ!? なんで……!」
蒸発して消えた天魔たち。
その中心にいた遊真だけが、何事もなかったかのように立っていた。
「カヅキ」
遊真が、私の名前を呼ぶ。
「カヅキ、たすけて。この世界は、俺に優しくないんだ」
私はがむしゃらに暴れた。
「うわっ、この……ッ! はねっ返りめ!」
馬上で暴れたせいで馬が驚き嘶いて、グエンの腕がゆるむ。
その隙に馬を飛び降りた私は、遊真の元へ走り出した。
「待て!」
「カヅキ!」
「天魔がまた……!」
一目散に走り出した私は、遊真しか見えてなかった。
走って、走って。
転びそうになりながら、遊真の元へ駆けた。
「ゆうま……っ」
「カヅキ」
遊真が微笑む。
優しい笑顔。
私の好きな、遊真の笑顔。
腕を広げた遊真に抱きつく。
「ゆうま、ゆうまぁっ……!」
「カヅキ」
私のことを抱きしめ返してくれた遊真。
死んだって。殺されたって。
そう聞いて絶望したけど。
でもやっぱり、今私を抱きしめているのは遊真に違いなくて。
泣きじゃくる私を、遊真はよしよしと頭を撫でてあやしてくれた。
「ゆうま、ゆうま、ごめんねっ、くるしかったよね、こんな世界につれてきて、くるしかったよねっ」
「うん、苦しいんだ、カヅキ」
「ごめんねっ、すぐに、すぐにまた、元の世界に還してあげるから……!」
「うん。それだけど――余計なコトは、しないデ?」
それまで聞こえていた遊真の声が、ひどく無機質なものに変わる。
えっ、と思ったときには遅かった。
お腹に鈍い衝撃。
遊真は笑ってる。
おそるおそる視線を下げれば、遊真の腕が、私のお腹を貫いていて。
ごぷ、と胃から血がせり上がった。
「ゅ、ま……?」
「かわいそうなカヅキ。俺なんかのために、命を無駄にした」
私の腹からずるりと腕を引き抜きながら、遊真は愛おしそうに私へくちづけを落とす。
触れて離れた遊真の唇が紅に染まったのを見た私は、漠然とした気持ちで遊真に微笑みかけた。
「……うれ、し……い」
黒曜石の瞳が揺れる。
あぁ、やっぱり。
きっと遊真は戦ってる。
自分の中を侵食しようとする天魔と戦ってる。
だから、この人は。
「たすけて、かづき」
ふっと遊真の姿がかき消える。
うれしい。
遊真が助けを求めてる。
なのに、私は。
「カヅキ!」
「神力で治癒します! セキレイ! 周囲は任せました!」
「あいよ!」
グエンとサーヤと、セキレイの声。
どうしよう。
ようやく遊真が手を伸ばしてくれたのに。
意識は闇へと、簡単に落ちていく。
◇ ◇ ◇
四年前の遊真は、武器を持つことすら怯えて、人を殺したくないって泣いていた。
それでも誰かのためになるならと、彼は武器を取った。
剣は苦手だったけど、弓の腕は驚くほどうまくて。どうしてって聞いたら、元の世界では弓の道を修めていたと笑っていた。
でも、人を射ったことなんてなかったと、初めて人を殺した夜に泣いていたのを、忘れたことはない。
優しい遊真。
本当は人を殺させたくなんてなかった。
だけどこの世界は残酷で、あなたに優しくなんてなかった。
ごめんね、遊真。
あなたをこんな世界に呼んでしまって。
でも私は。
あなたとの出会いを、なかったことにはしたくない――
ぽっかりと意識が浮上した。
懐かしい夢を見た気がする。
私は起き上がろうとして……すぐにまた逆戻り。
頭がくらくらする。なんか最近、こんなのばっかり。
「起きたか」
「……グエン?」
「無理に動くな。傷は塞いでもらったが、血を失いすぎてる」
そっか。この倦怠感は血が足りてないからか。
納得して目を瞑れば、グエンが忌々しげに舌打ちした。
そっと瞼を持ち上げると、グエンが私を睨んでいる。
「なに? 言いたいことあるなら、聞くよ」
「なら言うが。なぜあの時、俺が止めるのを聞かなかった。あんたがあの時冷静だったら、そんな大怪我をすることもなかったし、天魔の殲滅も今頃できていたはずだ」
「……ごめんなさい」
「謝ってほしいわけじゃねぇ。理由を聞いてるんだ」
私は黙る。
理由なんて、そんな大したものなかった。
遊真がいた。
ただそれだけだった。
でも、そんな中で唯一、言えることがあるのなら。
「……遊真を救いたかったの」
「あぁ?」
グエンが訝しげな声を上げる。
私は細く、言葉を絞りだした。
「遊真は、平和な世界から来たの。戦の記憶も忘れて、人殺しが一等重い罪になるような、そんな世界。そんな世界で生きていた彼に、私たちは無責任に人を殺すことを強要した」
誰もその事実を気に留めなかった。
そのせいで遊真の心が擦り切れていくのを、私は隣で見ていた。
だから私は、遊真を元の世界に還した。
「なのに戻ってきちゃった。戻ってきて、また苦しんでいる。ならそれは、私たちのせいでしょう? この世界の誰も遊真に優しくないのなら、せめて私は、私だけは、彼に優しくしてあげたかった」
結局はできなかったけれど。
私を草庵に置いて、一人で戦場に行ってしまった遊真。
私の知らないところで、グエンに殺されて、死んだ。
「……どうして」
今まで我慢していたものがこぼれだす。
「どうして遊真を殺したの……!」
グエンに言ってもしょうがないことは分かってる。
戦場では、命の保障なんてされないことは理解してる。
分かっていて、言葉を止められなかった。
嗚咽とともに吐き出した言葉は、宙に消えるだけ。
グエンは静かにそこに佇んで、私が無様に涙する姿を見つめていた。
やがて、ぽつりと言葉が落ちてくる。
「……俺は将軍だ。戦に立つ以上、俺は、俺が殺した人間に謝ることはできねぇ。だが戦士として言葉をかけるなら……あいつは立派だった。お前が言うようなヘタレ男じゃねぇ。堂々と兵を率いてその先導に立った、真の勇士だったよ」
私の知らない遊真の最後。
グエンはそれを知っている。
そのことが、少しだけ羨ましい。
「カヅキ」
グエンが私の名前を呼ぶ。
ぽろぽろ落ちる涙を拭うことすら億劫でいると、少しだけためらったように口を閉口させてから、グエンは言った。
「天魔が化野の山に集まって来ているらしい。その中心に今まで感じたことないくらいの天魔の気配がいるんだと。それを明日、姫神子たちが浄化しに行く。あんたはどうする」
それはグエンなりの優しさだったのかもしれない。
どうするも何も、私が行かないと異界への帰路は開けない。
それなのにグエンは、私に行くかどうかを尋ねてきた。
きっと行けば、遊真がもう一度死ぬ様を見ることになるから。
私はゆっくりと起き上がる。
目の前がくらくらするけれど、グエンが背中を支えてくれたから倒れなかった。
(覚悟を決めよう)
私は涙をぬぐって、グエンの金色の獣のような瞳を見返す。
迷いを振り切った顔の、私が映ってる。
「大丈夫。行くよ。遊真を殺すのは、私の役目」
「何もそこまでしろとは」
「いいえ、それが私のするべきこと。遊真は戦ってる。天魔に操られていても、私の言葉が届いていた。なら、遊真を人のまま送ってあげるのが、私にしてあげられる最後の優しさ」
遊真が既に一度死んでいるのは、嫌というほど身にしみた。
だって、抱きしめたときに心臓の鼓動が聞こえなかった。
すぐに気づいたけれど、私はそれを認めたくなかっただけ。
それが余計に、遊真を苦しめることになると気づかずに。
「遊真の中にいる天魔は普通とは違った。勇剣と智鏡の姫神子、二人の浄化を受けても蒸発しなかった。たぶんアレが核の天魔だと思う」
「いいんだな、お前はそれで」
「覚悟は決めたよ。だから、ごめんなさい。私を媛之国に帰して」
「いーや、乗りかかった船だ。益荒国も力を貸す。それに忘れてねぇだろうな? あんたはまだ益荒国の捕虜で、俺の嫁。これが終わったら、あまぁい蜜月ってやつが待ってるぜ?」
にやりと笑うグエンに、私の心臓が少しだけ跳ねた。
「私、嫁ぐなんて言ってないけど」
「お前の意思は関係ねぇ。俺が欲しいか欲しくないかだ。愛ゆえに男を殺す女なんて、極上じゃねぇか。……絶対に逃さねぇよ」
最後の一言だけ、グエンは意地悪く私の耳に囁いた。
私はとっさに耳を押さえて眦を吊り上げれば、グエンはからりと笑う。
その笑顔がとても眩しくて、私は目をそらした。
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