和玉の姫神子の矜持

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和玉の姫神子の矜持

 天魔が集まる化野の山は、不気味な雰囲気に覆われていた。  やっぱりと思う反面、どうしても胸に残るしこりのようなものを無視できない。 「浮かない顔だな。やっぱり三年もいれば愛着もわくのか?」 「そうだね」  隣に立つグエンに、曖昧にうなずく。 (愛着なんて可愛い言葉で、言い表せられたらいいのにね)  私の胸に残っているのは遊真と過ごした三日間。  甘くて、温かくて、最後は激しかった、あの時間。  せめてあの草庵が無事に残っていればいいなと思うけれど、たぶん難しいだろうな。 「それではグエン将軍、作戦通りに」 「おう。――野郎ども! 天魔一匹たりとも逃がすんじゃねぇぞ!!」  グエンの号令で、益荒国の兵士が雄叫びを上げる。  それを合図に、三人の姫神子も並び立つ。 「剣勇の姫神子の名の下に、勇壮なる意思を授けん!」 「智鏡の姫神子の名の下に、不敗の叡智を授けましょう!」 「和玉の姫神子の名の下に、希望の盟友を授けます!」  三柱の姫神子が、それぞれの神器を捧げ、集められた兵や巫女見習いたちに加護を授けていく。  緋色と瑠璃色と黄金色の神力が、この場にいる全員に降りそそぐ。  準備は整った。  いざ化野の山へ。  セキレイとサーヤを筆頭に、媛之国の兵と巫女見習いたちが山へと入っていく。  私とグエンは、合図があるまでは待機だ。  その間、山から下ってきた天魔を益荒国の兵で山へと追い返す手はずになってる。  入山していく人たちの背中を見ていれば、不意に梔子色の衣が視界の端に映った。 「カヅキ様、久方ぶりでございますね」  私と同じ、梔子色の戦装束。  声をかけてきたのは、私の後継者である和玉の姫神子だ。 「カヅキ様にこちらを」  差し出されたのは、琥珀のように透き通った黄金色の勾玉。  私が戸惑っている間にも、当代の和玉の姫神子はその勾玉を私の首へとかけてしまう。 「和玉の神器を模した勾玉です。神器を失ったとはいえ、和玉の姫神子として私は選ばれました。その意味を考え、三年かけて私の神力を注いで作ったものです」 「そんな大事なものを、私に?」  動揺していれば、彼女は真摯なまなざしを私に向けた。 「誰もがあなた様を罪人だと言いましたが、私はカヅキ様こそ真の和玉の姫神子だと思っております。仁を司る姫神子として、異界の勇士の心を慮ったあなた様にこそこれは相応しい。どうか天魔も、哀れな異界の来訪者としてあなた様が導いてくださいませ」  彼女の言葉は重かった。  だけどそれが、私の背中を押した。 「……ありがとう。かならず使命を果たします」  和玉の姫神子が微笑んだ。  そして、とうとう。 「合図だ! 行くぞ!」  空を見れば、どんよりとした灰色の雲の中に瑠璃色のきらめきが散っている。  サーヤが『彼』を見つけたみたい。 「カヅキ様、ご武運を!」 「ありがとう!」  私は黄金の勾玉を胸に、前を向く。 (待っていて、遊真。私が助けてみせるから)  サーヤの合図を目印に山に入ってみれば、進む先が見慣れた場所であるのはすぐに分かった。 「グエン、こっち!」 「場所、分かんのか!?」 「気配が強い! それに……!」  ここは私の庭のようなものだから。  視界が開く。  鬱蒼と茂っていた木々がぽっかりとなくなり、一つの草庵がぽつねんと建っていた。  そしてその草庵の前で、倒れ伏すサーヤと、神器の剣を構えるセキレイ、それから。 「遊真!」  黒い天魔を何匹も従えた遊真がいた。  遊真がこちらに気がつく。  とても不思議そうな顔をした。 「……何故、生きていル? 殺しタのに」 「なぜだろうね。私も不思議」  私は運が良かっただけ。  サーヤという、致命傷すら治癒できる人がすぐ側にいたから。  でも遊真は。  ……過去のことを考えたって詮無きこと。言葉を飲みこみ遊真を見返せば、遊真はひどく不機嫌そうな顔をした。  周囲の天魔が今にも私へ飛びかからんと唸っている。 「……ねぇ、あなた。遊真の体を返してくれる? とても大切な人なの」 「断ル。コレは我の身体ダ」 「その身体は、あなたの本当の身体じゃないでしょう?」 「当然。我が身体はオマエたちが奪っタのだかラ!」  天魔が飛びかかってきた。  セキレイが緋色の剣を一振りすれば、天魔は燃えて消滅する。  遊真の表情が憤怒に彩られた。 「忌々しイ……! 剣、鏡、玉! すべテ我が依り代ダというノに!」  遊真から放たれる天魔の言葉に、この場にいる誰もが息を呑む。  姫神子の神器が、天魔の依り代……? 「どういうことだ!?」 「言葉のママ。全て我が依代。オマエたちハその力を求め、奪イ、我が魂を捨てタのダ!!」  轟っと黒い風が吹き荒れる。  グエンが私を抱きすくめ、倒れているサーヤをセキレイが庇う。  黒い風は冷たく、負の念が詰まっていた。  ――帰りたい  ――体を返して  ――元の場所へ  ――叶わぬならば、(ともがら)を  ――増やせ、増やせ  ――そして滅びよ  天魔の意思とも言えるものが流れ込んでくる。  足から力が抜けそうになって、グエンの胸にしがみついた。  グエンが私を一瞥して、力強く抱きしめる。 「……なんだかよく分からねぇが、あんた今、てめぇがされて嫌なことをしてる自覚はあるか?」  黒い風が少しだけ弱まる。  グエンはまっすぐに遊真を――遊真の中にいる天魔を見据えて、語りかけた。 「自分の体を返してほしいのなら、そいつの身体も返してやれ。話はそれからだ」 「……我が身体を奪っタのは、オマエたちダ」 「それを返してやるっつってんだ。なぁ、カヅキ」  グエンの言葉に、私は慌ててうなずいた。 「神器はお返しします! 一つは失ってしまったけれど、その代わりのものを差し上げます! 元の世界にもお還しします! だからどうか、これ以上、遊真を苦しめないで……!」  黒い風が収まる。  遊真が私をひたと見据えた。 「ナラバ……貴様の肉体を寄越セ。玉は貴様のセイで失っタ。貴様がその身ヲ以て贖ウのが道理」 「わかりました」 「なっ!?」  迷うことなく即答した私を、グエンが睨みつける。 「お前、何を言われたのか分かっているのか!?」 「分かってる。大丈夫、覚悟はしてた」  むしろ、遊真をもう一度殺すより、ずっといい結末かもしれない。 「セキレイ、剣を頂戴。サーヤの鏡も」 「カヅキ……」 「大丈夫。アレはちゃんと私が道連れにする」  セキレイにそう言って、グエンの腕から抜け出そうとする。  だけど、グエンは私の体を離してくれなかった。 「……グエン、離して」 「断る」 「離して」 「行くんじゃねぇ」 「離して!!」 「行くなっつってんだ!!」  グエンが怒鳴る。  獣のようにぎらぎらした金の瞳が私を見下ろす。 「ふざけんじゃねぇぞ! 惚れた女一人見殺しにするなんざ、益荒の名が泣く! 死んでも行かせねぇからな!!」 「どうして……っ」  どうしてこの人は、私をこうまで守ってくれようとしてくれるの。  私、あなたに想ってもらえるような人間じゃないのに。 「不思議そうな顔してんな。俺がお前に惚れた理由なんざ一つしかねぇ。一本の筋を通そうとするその強い意志に惚れたんだ。小せぇ体で全身全霊で体当りしていく、そんな強い女は二人といねぇだろ!」  堂々としたその告白に、私は呆気にとられた。  グエンはそんな私の身体を力強く引くと、自分の背中に隠してしまう。 「だから悪りぃな、ユーマとやら。てめぇの女は俺がもらうぜ!」 「所詮、口先だけカ……」  遊真の表情が悲しそうなものになる。 (そんなつもりはない!)  目の前に広がる大きな背中を見る。  この大きな背中の人の言葉はとても嬉しい。  もし、私が遊真と出会っていなかったら、きっと私はこの人を選んだかもしれない。  だけど、私は。 「ごめんなさい、グエン」 「……!? 身体が動かねぇ!?」  神力を使って、グエンの身体を麻痺させる。  私は微笑んだ。 「グエンの言葉、とても嬉しい。だからこそ、私のたった一つの意思を貫かせてよ」 「な……おいっ、やめろっ! カヅキ!!」  勾玉に宿る神力を使って、セキレイとサーヤから剣と鏡を取り上げる。  そうして遊真の元へ。 「異界より招かれしものよ。あなたに全てをお返しいたします」  勾玉の神力を使い、異界への道をこじ開ける。  勾玉だけの神力じゃ足りなくて、剣と鏡の神力も借りた。  神器一つ分の神力……二つある今なら、なんとか神器を失わずに神力が足りそう。  私の体から、黄金色の神力がほのかに立ち昇っていく。 「やめろ!!」 「グエン、ありがとう。叶うなら、あなたとは普通に出会ってみたかった」 「俺は普通の女になんか興味ねぇぞ!」 「そうかも。だけど私は、そういうしあわせが欲しかった」  私は笑うと、セキレイとサーヤを見る。 「カヅキ……」 「セキレイ、ごめんね。神器はもらってく。後が大変だけど、サーヤたちをよろしくね」 「他にっ、他に手段はないのか!?」 「これは召喚術を利用してきた媛之国の業なんだよ。だから私たちの代で清算しよう。未来に生きる人たちのためにも」  セキレイの悔しそうな顔。  彼女は剣勇の姫神子らしく熱い心の持ち主だし、私たちの中で一番年上で責任感も強い。  サーヤもいるし、セキレイに任せておけば大丈夫。  私は穏やかな心で、遊真に向き合った。 「遊真」 「カヅキ」 「待たせてごめんね。つらかったね。大丈夫。私が救ってあげる」  遊真が微笑んで、腕を広げた。  過ちを繰り返すように、その腕に飛びこむ。  抱きしめ、一つしかない黒曜石の瞳と視線を交える。 「愛してる、遊真。来世があれば、あなたともう一度――」  勇の剣と智の鏡が共鳴し、黄金色の蝶が無数に羽ばたいて、私と遊真を包んでいく。  黄金に染まる視界の中、遊真と唇を重ねた。  遊真からずるりと黒い物が抜け出て、私の体へと入ってくる。 (大丈夫、怖くない。)  私が帰してあげる。  あなたの帰りたい場所へ。
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