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しあわせのかたち
「カヅキ」
真っ暗になった世界で、誰かの呼ぶ声がした。
誰だろう。とても、優しい声。
「カヅキ」
もう一度、今度ははっきりと聞こえたその声に、そっと瞼を持ち上げる。
黄金色の世界で、泣きそうな表情の遊真がいた。
不思議、ちゃんと瞳が二つある。
「遊真」
「馬鹿なカヅキ。なんで俺なんかのために命はっちゃってるの」
「ごめん、遊真。でも私、遊真のためならなんでもするよ」
たとえ、あなたを手放して罪人になろうと。
たとえ、この恋心をずたずたに引き裂かれるような思いをしても。
私は遊真のためならなんでもするよ。
そう伝えれば、遊真は泣き笑いのような顔をする。
「カヅキの愛は重いなぁ」
「ごめんね、嫌?」
「そうじゃないけど……俺、こんなにもカヅキに想ってもらえるような人間じゃないから」
「そんなことないよ」
「そんなことあるんだよ」
どこかで聞いたばかりの言葉を否定すれば、遊真も否定で返してくる。
遊真はいつの間にか二つになった黒曜石の瞳のうち、失くなっていたはずの左の目をそっと抑えた。
「この目、さ」
「うん」
「事故だって言ったけど、自分でやった」
自分で?
「どうして」
「自分が人を殺したっていう事実に、堪えられなかったんだ。部活で道場に行くたび、弓を握るたび、いつかまた、人を殺してしまうんじゃないかって思って……自分で」
呆然とした。
私たちが遊真に求めたものが、こんなにも強く根深いものになっていたなんて。
それなら、彼を元の世界に戻したって、彼は幸せになれなかった?
「……ごめん、遊真」
「カヅキのせいじゃない。俺が弱かっただけ」
「でも、私たちが遊真を召喚なんてしなかったら」
「そうしたら俺は、カヅキに出会えなかった。このひどい世界で、カヅキに出会えたことだけは感謝してる」
遊真はそう言って、私をそっと抱きしめてくれる。
「カヅキ、好きだよ。だからどうか、現実を受け入れて」
「現実……?」
「俺は君との心中なんてまっぴらごめんだってこと。アレは俺が連れて帰るよ」
「だ、だめ! そんなことをしたら、遊真が……!」
「身体はなくなっちゃうけどね。魂は半分、カヅキに預けたから」
遊真が笑う。
その意味を理解できずにいれば、遊真は私に優しいくちづけをくれた。
あの三日目の晩のように、甘くて、濃厚で、くらくらしちゃうくちづけを。
唇が離れたとき、遊真はそうっと私の耳へと囁きかける。
「カヅキのここに、俺はいる。だから愛して。俺を一番に愛して。そうしたら俺はしあわせだ」
遊真が私のお腹を優しく撫でた。
それが意味するものに目を見開けば、遊真は私の額にちゅっとくちづける。
「可哀想なカヅキ。俺なんかを好きになっちゃったから、つらい思いをする」
「……つらくても、でも、私は遊真を好きになってよかった。遊真を好きになったから、和玉の姫神子としての矜持をつらぬけた」
「そっか」
遊真は向日葵のように笑顔をほころばせると、私から身体を離す。
「遊真っ」
「そろそろ行くね。アレはちゃんと連れて帰るよ。剣と鏡と勾玉も、全部持って帰る。カヅキ、しあわせに生きて。カヅキがしあわせなら、俺もしあわせだから」
「待って、ゆうま……っ!」
遊真は微笑んで、背を向けた。
黄金色の光が、私と遊真を隔てる。
あまりの眩しさに、目がくらんだ。
◇ ◇ ◇
「……ぃ、…………おい、カヅキ!! しっかりしろ!!」
たくましい誰かの腕。
私の名前を呼ぶ声。
ぼんやりとする頭で瞼を押し上げれば、金色の瞳を持つ、赤い人が私を覗きこんでいた。
「……グエン?」
「カヅキ! よかった、目が覚めたか……!」
グエンがほっと息をつく。
私は体を起こそうとするけど、全然体に力が入らない。
諦めて周囲に視線だけを巡らせれば、セキレイと、気がついたらしいサーヤが私とグエンのすぐそばにいた。
「カヅキの馬鹿! さっきのなんだよ! こんな無茶までして!」
「一人ですべて背負おうなんて、薄情すぎますわ!」
「ご、ごめんね」
「同じ姫神子です! 三年前の罪滅ぼしさえまだなのに! いつもいつも、一人で抱え込んで……!」
ほろほろと涙を流し始めたサーヤに私はぎょっとする。
サーヤが泣くところなんて初めて見た。
「さ、サーヤ? 泣かないで?」
「泣いておりません!」
「えぇ〜?」
私が困っていると、グエンがちょいちょいと私の肩を叩いて気を引いてくる。
「グエン?」
「で? 何がどうなった。目の前が真っ白になったと思ったら、次の瞬間にはユーマと天魔だけがいなくなってたんだが」
「そうです! どういうことか説明してくださいまし!」
興奮するサーヤをセキレイがどうどうとたしなめるけど、これは話さない限り、落ち着かないだろうなぁ。
「私もよく分かってはいないんだけど……遊真の魂が私の代わりに天魔を連れて行ってくれたみたい」
「ユーマが?」
「うん。連れて帰るって言ってた。たぶんアレは元々、遊真の世界の存在だったのかも。神器も全部、持って帰るって言ってたから」
連れて行くじゃなくて、連れて帰るって遊真は言った。
それはつまり、遊真の帰る場所とアレが帰る場所は同じだったってことだと思う。
そう伝えれば、三人ともちょっと納得しがたい顔をしていたけど、理解はしてくれた。
これ以上の説明もできなくて、私が困った顔をしていれば、グエンがからりと笑う。
「まぁ、何はともあれ、これで一件落着かぁ?」
「……そう、ですわね。そうと言っていいでしょう」
安堵のため息をつく。
そっと顔を上げれば、あんなにもどんよりと曇っていた空には、雲一つもない青空が広がっていた。
「終わった……んだぁ」
「おう。んじゃ、カヅキ、覚悟はいいな?」
「えっ?」
覚悟?
なんの?
きょとんとしていれば、グエンがクッと喉の奥を鳴らす。
「忘れたか? 全部終わったら、お前を嫁にするってやつ」
「まだ諦めてなかったの?」
「諦めるわけねぇよ」
「私もう、本当の本当に神力がなくなっちゃったから、娶っても意味は……」
「てめぇ、俺の一世一代の告白をちゃんと聞いてなかったな?」
グエンが半眼になると、ぐいっと私の顎を掴んで強引に視線を合わせてきた。
「俺はお前自身にも惚れたんだ。それを忘れんじゃねぇ」
目を丸くする私に、グエンがにやりと人の悪い笑顔を浮かべる。
「それともこう言やぁいいのか? ――愛してる、ってな」
愛してる。
私にばかり求めて、遊真が最後までくれなかった、ずるい言葉。
あんなに欲しかった言葉をくれたのは、遊真を殺したグエンだなんて、皮肉にもほどがある。
「そんなこと言われたって、私は遊真のことが」
「あんたの好いた男はもういねぇ。その操を守るのもいいが、俺みたいなイイ男がお前を欲しがってんだ。黙ってうなずけよ」
そんなこと言われたって。
諦めてくれなさそうなグエンに、視線をそよがせる。
「さ、さすがに子持ちの女は、嫌でしょ」
「………………は?」
それまでにやにやしてたグエンの表情が固まる。
セキレイもサーヤも、驚いた顔で私を見た。
セキレイがぽろっとこぼす。
「カヅキ、子供いたのか?」
「いるっていうか、遊真が……その……」
私はお腹に手を当て、ぼそぼそと話す。
生前の遊真との三日間と、最後の遺言。
神力にあふれたあの空間で、たしかに遊真の魂が私のお腹に宿ったことが感じられたこと。
全部白状させられた私は、怒涛の勢いでセキレイとサーヤに詰め寄られた。
「うわぁー! それは良かった! おめでとう、カヅキ!」
「おめでとうじゃありませんわ! 貴女そんな身体で駆け回っていましたの!? 今! すぐ! 山を! 下りなさい!!」
「わ、分かった」
にこにこ笑顔のセキレイとは反対に、サーヤが般若の形相で私を叱ってくる。
山を下りるためにふらつく身体で立とうとすると、ぐいっと体が浮き上がった。
「グエンっ?」
「畜生が……ッ! 他の男のお手つきなのは気に食わねぇが、男に二言はねぇ。てめぇの男ごと、俺が貰い受けてやろうじゃねぇか!」
グエンがそう叫ぶと、私を横抱きにしたまま歩き出してしまった。
「グエンっ、私、歩けるっ」
「黙っとけこのお転婆! 腹の子に響いたらどうする!」
グエンにまで叱られてしまえば、私はもう何も言い返せない。
それでもこんな私を本当に娶るつもりなのかどうかが分からなくて視線をさまよわせていれば、グエンは眉間に寄せていたしわを少しだけほどいた。
「惚れた弱みとはよく言ったもんだな。……あんたからユーマよりいい男って言葉をもぎ取るまでは、俺は諦めねぇぜ」
死んだ人間に張り合おうとするその言葉に、私はついつい笑ってしまった。
笑うんじゃねぇと悪態をつかれるけど、私はくすくすと笑いながらグエンの厚い胸へと身を預ける。
ねぇ、遊真。
人と人の縁って不思議だね。
私はあなたと出会えてなかったら、仁を司る姫神子として、正しい道を進めなかったかもしれない。
あなたと出会えたから、あなたのために、私は変われた。
世界だって、あなたの命を代償に、より良き方へと変わろうとしてる。
媛之国と益荒国は手を取り合った。
二つの国の間には深い禍根があるけれど、天魔という一つの敵のために手を取り合えた。その事実は変わらない。
きっと世界は変わっていくよ。
あなたが憂えた媛之国の未来のために、私ももう少し頑張ってみる。
あなたが遺した小さな生命がしあわせになるように、人々をつないで、あなたの世界のように争いのない、平和な世界を作っていくよ。
だから遊真。
来世に期待していてね。
【和玉の姫神子と異界の勇士 完】
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