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「他に痛いところはないか?」
「はい。どこも痛くありません」
龍神が手を翳すと、傷口はすぐに塞がった。跡形もなく消えていく。
こうして治療して貰える自信があったから傷付けられてもいいと思った訳ではないが、龍神はどう思っているだろうか。聞いてみたいけれど、またうつけと言われるのは間違いない。傷を治すのだって、相当の神力を使うはずだ。
「みのり」
今度は割れものに触れるように、そっと抱き締められた。
「もう二度とその身を差し出すな。救ってやった意味がないではないか」
「私は絶対に、龍神様の好意を無駄にはしません。あなたに抱き締めて貰って、こんなにうれしいんですから」
「この阿呆」
「龍神様が笑ってくれるなら、阿呆で結構です」
じゃれ合う私達に、朝の光が降り注いだ。
「そういえば、どうして私は衝動に駆られなかったんでしょう。やっぱり、元人間だからでしょうか?」
私たちは並んで座り直すと、途切れ途切れに話し続けた。離れ難かった。重ねた手を、どちらからも放すことはなかった。
「……お前は勘違いをしているようだが、俺も元々は人間だ。お前と同じように、ある時突然ここに放り出されたのだ」
「えっ?」
驚いて浮かせた手を、龍神が捕まえる。
確かに、キオから教えて貰った伝承では、神は突然現れたようなことを言っていた。ありがちな言い回しだから気にも留めていなかったけれど、あの伝承は龍神の誕生について正しく描写しているというのだろうか。
「山も川も人も、龍神様が創ったんですよね?」
「ああ」
「元いた場所に似せて?」
「そうだ。思うようにはいかなかったようだがな」
「龍神様が元々いたのは日本……?」
ずっと、そうだったらいいと思っていた妄想をはじめて口に出した。
否応なしに胸が高鳴り。肯定の言葉を期待してしまう。
「ニホン……? 聞き覚えはないな」
「そんな」
あからさまに肩を落とすと、龍神は申し訳なさそうに言葉を続けた。
「落胆させて悪いが、俺には元いた場所の記憶が残っておらんのだ。あるのはこちらに現れた後のことのみ。それも幾星霜の時を経て、当時の記憶は朧気になっておる」
「龍神様はこちらに来て、どれだけの時間を過ごされているのですか」
「数えるのも馬鹿馬鹿しい程だ」
「だったら、仕方ないですよね」
実は私自身、この世界に来て何日が過ぎたのかがわからなくなっていた。村にいた頃はキオが書いた暦を頼りにしていたけれど、不老不死の龍神の花嫁となってからは時間の経過に無頓着になってしまった。
「でも、桜と橘の名前は龍神様が付けたんですよね」
一縷の望みをかけて、私は龍神様に追い縋った。
「ああ。二人は俺が創り、俺が名付けた。
あの二人だけが俺の元いた世界を写しているのかもしれぬ」
「だったら、間違いありません。龍神様と私は同郷です」
桜と橘はお雛様の花飾りと同じだ。言葉そのものが神の力によって自動的に翻訳されているとしても、同じ花が別の世界にも存在しているとしても、この二つの並びが偶然であるとは考え難い。左近の桜、右近の橘。私がすぐに二人を見分けられるようになったのは、彼女達がいつも同じ並びでいたからだ。
「そうか。同郷か。だから、俺はお前に懐かしさを覚えていたのだな」
「そうなんですか? 知らなかった」
「言っておらんからな」
龍神は意地悪な笑みを浮かべ、私の手を取った。
「そろそろお前を返してやらんとな」
「返す……?」
「桜と橘が出てくるまでこうしていようかと思ったが、あやつら妙な気を使っておる。このままでは昼になってしまうぞ」
「え? ええ?」
龍神の視線を追うと、そこには壁に張り付いた桜と橘がいた。
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