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体の揺れを感じて目を開いた。すぐそばに店長の顔があった。
「気がついたっすね」
安井はシートの上に寝かされていた。離れていた幽体は無事に体に戻れたのだ。
「意識が戻ってよかったっす。ヘルメットを被っていたとはいえ、頭を打ったから死んだんじゃないかって冷や冷やしたっすよ」
ホッとした様子で店長が目を瞬かせた。口調は相変わらずだ。
「あっちの世界で車にひかれたから、てっきり死んだかと思った」
安井はそう言いながら半身を起こす。どこも痛くない。
「え? ああ、なるほど夢を見たんすね。すいません。理想の世界って話、アレ全部うそっす」
店長が頭を下げた。
「うそ?」
「はい。未来から来たとか、理想の世界に行けるとか、アレ全部うそっす。本当は人身売買の組織壊滅のため、あなたを囮に使わせてもらったんす。僕は刑事っす」
まだ朦朧とする意識の中、店長が事情を説明する。
理想の世界とはデタラメで、すべては人身売買の組織壊滅に向けて警察が仕組んだことだった。
「警察がそんなことするのか」
「騙してすいません。でも、今の警察はなんでもありっす。ってことで、これどうぞ」
捜査協力として安井は刑事から百万円を受け取った。それは組織が刑事に渡したものだった。
安井は素直にもらうことにした。
「理想の世界はどこかに存在するのかな」
「そのために警察はがんばってるっす」
若い刑事が屈託なく笑う。
安井も笑った。
彼は知らない。安井が理想の世界に行ったことを。
安井にとって理想の世界とは、過去に残した未練だったのかもしれない。
あのとき、ああしとけば。ずっと心残りだったこと。やり直したいこと。
でも、過去は変わらない。
だから地味でもいい。もう悔やむことがないように生きよう。そう思った。
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