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チラシの店は場末の雑居ビルにあった。
安井はチラシを片手に、薄汚れたガラス扉に手をかける。内開きの扉がゆっくりと開いていく。
部屋を見て目が点になった。
それほど広くない部屋の奥には色あせたカウンターがあり、奥の壁にはスチール製のキャビネットがあるだけだ。
壁はタバコのヤニで黄ばんでおり、饐えた臭いに思わず胸のむかつきを覚えた。
「いらっしゃいませぇ」
汚れた空気が漂う部屋に甲高い男の声が響く。
ダークスーツを着た細身の男が、気持ち悪いぐらい丁寧に頭を下げた。店には他に誰もおらず、がらんとしている。
「ご来店、あざっす。僕が店長っす」
入口でためらう安井に、店長はくどいほど頭を下げる。
年はまだ若い。わざとらしい慇懃な態度と軽い口調にきな臭さを感じた。
「チラシを見て来たんだけど」
安井が握りしめていたチラシを見せる。
「理想の世界へようこそっす。ささっ、お客さん。どうぞ入って。はい。これどうぞ。おいしいお茶だから飲んでくださいっす」
気さくな口調で店長がお茶の入ったコップを差し出す。
「理想の世界に行けるって、そんなことが本当にできるのか? つうか、うそだろ」
汚い店に、安井はすっかり興ざめ気味だ。
「信じないなら案内しませんよ」
店長が素っ気ない態度を見せる。
「いや別に信じてないわけでもないけど……」
安井は取り繕いながらお茶をぐびっと飲んだ。お茶は古いのか妙に苦かった。
「いやいや、お客さん。その目は信じてないっしょ。わかりますよ。こちとら相手の目を見りゃ、なんだってわかるんだから。こうなったら本当のことを言いましょう。じつは僕、未来から来たんすよ」
はあ? 安井は口から溜め息とも笑いともつかない声を漏らした。ますます胡散臭い。もう一口お茶を飲む。やはり苦い。
「僕が働いてる会社ってのが、未来でバーチャルなリアリティやってる会社なんすけど、過去の人にも体験してもらって、もっとクオリティを上げようって話になったんすよ。だから、お代は無料でいいっす。いや報酬も出しますから。ね、頼んますよ」
「う~ん」
安井はどっちともつかない返事をする。
「あ、でも、この話はここだけの話にしてください。SNSとかやめてくださいっすよ。バレると面倒なんで」
「う~ん」
曖昧な返事を承諾の返事と受け取ったらしく、店長はきびきびとした動きで後ろのキャビネットから何枚か用紙を取り出すとカウンター越しに説明をはじめた。
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