『感謝』

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『感謝』

石上と里子が通っていた屋台の 店主の 名前は 江崎武蔵 以前は、料亭の調理場を 任されていた料理人。 そして、妻逸子は武蔵と一緒に 働いていた女中頭を務めていたそうだ。 独立をするため料亭を円満退職した武蔵は、 昼間は、定食屋で働き、夜は屋台を出し、 妻、逸子も夫を助けるために、旅館の仲居 として働き開業資金を貯めていた。 ふたりのことを聞いた石上と里子。 「そうだったんですね。  ここまでくるまで、苦労されたんですね」 里子が武蔵に言った。 「ところで、武蔵さん、  『お店の名前』は何てゆうのですか?」 石上が聞いた。 「店の名前は『朝露』っていうんですよ……」 と武蔵が言った。 「『朝露』……」石上が呟いた。 すると、逸子が石上を見ると、 「この人、こう見えて小説が大好きで、  暇な時間によく小説を読んでるんですけど、  彼の大好きな作家さんが世に出た代表作を  どうしても、『店名』にするんだ!って  言って……。  この人があんまり言うから、私もその小説を読んだら、もう感動しちゃって、だから即答でこれにしちゃおう……って」 「俺の大好きな作家『石上徹』この人の  作品にどれだけ、心救われたか……  『片陰』って作品も、まさに 『男の生きざま』  が描かれて……落ち込んでた俺を  支えてくれた小説なんですよ……」と武蔵が語った。 武蔵と逸子の話を聞いていた石上と里子の瞳から涙が流れた。 「え?旦那……石上さん、どうしたんですか?山辺さんも……」慌てる武蔵に逸子が…… 「石上さん……石上、もしかして……  石上さんって『作家の石上徹』さん  なんですか?」 「ちゃんと、人の心に刺さってるんですよ  あなたの作品は……」そう呟く里子。 驚いて椅子から立ち上がる武蔵に、 石上が涙を拭くと 「武蔵さん、ありがとう。  僕の小説を愛してくれて、  僕の小説が誰かの心を揺さぶる……  誰かの支えになってたなんて……  心からあなた方に感謝します」と言うと  深々と頭を下げた。 「え~、旦那が石上徹さんだったなんて……」 そう言うと、武蔵は荷物の中から、 二冊の本を取り出すと マジックと一緒に石上の前に差し出した。 「石上先生……これにサインをしてください」 差し出された二冊の本。 何度も何度も読み込まれたと思われる ページについたしわと 油のしみついた。 小説 『朝露の君』と『片陰』 石上は優しく微笑むとマジックを受け取り、 台の上に本を置くとページを開く。 『江崎武蔵さんへ  心から感謝します。ありがとう     昭和五十九年三月 石上徹』 と記すと頬をつたう涙をそっと拭いた。
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