ご報告

1/1
前へ
/60ページ
次へ

ご報告

石上と里子が出版社を出る頃には、 夕陽は傾き、空には星が輝き始めていた。 石上は里子の顔を見ると、 「寄っていきますか?」と言った。 「はい……」頷く里子。 路上を歩き、二人は赤ちょうちんが さがるのれんをくぐった。 「へい!いらっしゃい」  店主の威勢の良い声に、 「こんばんは」と石上が声をかける  そして、その後ろから里子が顔をだした。 「旦那!お嬢さん……」嬉しそうな店主は すぐにふたりを長椅子に座るように言った。 石上と里子が長椅子に座ると、 「いつものと、ビールで?」 頷くふたり……。 店主が大きめのクーラーボックスから よく冷えたビール瓶を取り出すと、 『シュポ』っと栓を抜き、 グラスと一緒にふたりの前に置いた。 石上と里子は、互いにビールを注ぎ合うと コツンとグラスを重ね注がれたビールを 美味しそうに飲み干す……。 「旦那、今日はどうしたんですか?  なんか、嬉しそうですね」 店主が尋ねた。 石上と里子は互いの顔を見合わせると 「僕達、一緒になることになりました」 それを聞いた、店主は満面の笑みを浮かべ 首を上下に揺らすと、ゆっくりと頷いた。 「そうですか。旦那、お嬢さん、  おめでとうございます  いやぁ~、めでたいな……。  本当にめでたいな……こんなに日に」 店主が涙ぐんだ……。 「親父さん、どうしたの?」 石上が彼の顔を覗き込んだ。 「何、ねぇ……この場所で屋台を出すのが、  今日で最後なんですよ」 「今日が最後?」石上が呟くと里子も 「屋台……辞めちゃうんですか?」 と店主に尋ねると、 「実は、資金がやっと貯まり、  今度、この先の出版社近くに  小料理屋を開くことになりまして……」 「小料理店?」石上が聞いた。 「はい……小さいんですが、二階は座敷  もあって……」 「そうなんですね。おめでとうございます」 石上の言葉に、 「ありがとうございます……」と嬉しそうな 店主。 「じゃあ、今度からは、店主じゃなくて、  『大将』と呼ばなきゃ……。  開店したら、是非 今まで通り、二人で  寄せてもらいます」 「あなた、よかったわね」  のれんの外から女性の声がした。  のれんがあがると、一人の女性が 店主の隣に立った。 店主が照れくさそうに「旦那、家内です」 と彼の妻を石上と里子に紹介した。 二人は椅子から立ち上がると、 「初めまして、石川と申します」 「はじまして、山辺と申します」 と挨拶をすると、 女性は笑顔で「逸子と申します。 主人を……この屋台をごひいきにしていただきありがとうございました あなた方のことは 主人からよく聞いていました」と言った。 店主が妻を見ると、 「このお二人、今度一緒になられるそうだ」 と言った。 ふたりが恥ずかしそうに軽く会釈をすると、 「まぁ、おめでとうございます  じゃあ、四人でお祝いしましょう!」と 言うと、のれんの外に『本日貸し切り』 の札を下げた。 それを見た石上が、 「いいんですか?僕らだけって……  今日が最後の日なのに……他の常連さん……」 と心配そうに店主に聞いた。 店主は微笑むと、 「大丈夫ですよ。本当は昨日が最後だったんです。  だから、常連さん達は昨日までに来て  いただいてます。  それに、これから始める小料理屋のことも  伝えていますから……」 「では、どうして?」里子が聞いた。 すると、逸子が 「この人、最後のお客が来られてないからって……もしかしたら、今夜来てくれるかもしれないってだから、今夜を最後にしたいって…… でも、奇跡ですね…… お二人が、のれんをくぐって 来られるなんて……」 妻、逸子の言葉を聞いた石上と里子は、 ビールが注がれたグラスを握りしめると 店主と妻の顔を見ると優しく微笑み、 一気にグラスを空にした。 今夜も赤ちょうちんの灯りが、 ゆらゆらと揺れる……。 のれんの中の四人の笑顔と笑い声が通りに 響き渡る。
/60ページ

最初のコメントを投稿しよう!

31人が本棚に入れています
本棚に追加