酒と涙とギャンブルと。

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酒と涙とギャンブルと。

親父は僕が3才の時から酒とオートレースやパチンコ、競艇にはまり私がいつも山陽本線の駅がある山陽小野田市の農家の叔母さん達が営む古びた木造の食堂に連れて行かれ子供心からギャ ンブルという恐ろしいものを植え付けられた。家は三和町のぼろアパートでまるで刑務 所の 中の生 活をしていた。冬は炬燵一つし かなく、     石油ストーブすらない惨めな生活でした。父は三和町のヤクザにこめかみにタバコを押しつけられて焼きを入れられたのに是に懲りず仕事大工の棟梁で国や県や山口市からいただいてありがたかったのですが、全部石ノ花というリコールというステーキとハンバーグの美味しい店の横に県庁職員しか通わない石ノ花という山口県知事だった平井知事に吸い取られました。挙げ句の果てに山口市にせっかく8000万円の土地を取られて折角土地等が 有ったのに全部平成12年12月に折角住んでいた新築の家を追い出され、泣く泣く父が島根県益田市生まれだったので、おばあちゃんのハルミが死にそうなので帰らされました。無理矢理連れてこられました。半ば私を憎みボコボコに暴力団関係者のように私の頭を殴りつづけて何度も地元の精神科はじめ色々な病院に逃げて入院させて貰ってました。でも父は酒によって下咽頭癌により喉を切り胃瘻の食    事しか受け付けなくなった上私たちが、酒を信和 ,会のアルコール専門病院の精神科に余りにも酒の度合いが酷いので私と母と弟で相談して、入院さました。四ヶ月後本当は1年間の入院治療を執拗としたにもかかわらず父が甘えるので欺されて退院させました。其れがいけなかったのです。其れこそが依存症患者が訴える精神依存症の患者の出す基本的なサインだったのです。そして父は精神を病み、重度の統合失調症に悩み今もゾンビのように生きているのか死んでいるのかも分からず、息だけはしています。今は野球賭博に走りました。何故なら肺をタバコで真っ黒にして重度の肺気腫になり、神経がやられてテレビを見ながら折りたたみ式の携帯電話でヤクザにかもられ私の家はヤクザにとって借金の返済屋敷になり、最後にお化け屋敷になりました。
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