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暦姫と歳神様
一年の末、年越えの日。
この日は旧き歳神様に感謝を称え、新しき歳神様を迎えるための大切な日だ。
国を上げての大事な行事。
民草はこの日のために用意したご馳走に舌鼓を打ちつつ、旧き一年を語らい、新しき一年に希望を見いだす。
私も去年まではそんな年越しを村の皆と過ごしていた。
だから何の疑いもなく、今年もそんな年越しをすると思っていたのに。
「――おめでとう。お前が次の暦姫だ」
そう言って十六回目の年越しに、私を貧しいながらも温かかった村から連れ去ったのは、この国のお貴族様。
名前も知らない。
場所も知らない。
訳も分からず連れて行かれた、村からずうっと遠い場所にあるお屋敷には、私そっくりの女の子が目を腫らして泣いていて。
私が黙ってその女の子を見ていると、私を連れてきたお貴族様は慈愛に満ちた声で、さめざめと泣き続ける女の子をなだめていた。
「玉環。これがお前の代わりに恐ろしき歳神の元へと行ってくれる、お前の双子の姉の飛燕だ。だから泣き止むといい。もう怖くはない。お前が歳神なぞに連れて行かれることはないんだ」
「本当……? あぁ、ありがとう、お父様!」
その言葉で、私は知った。
この人が、私の本当の父親なんだと。
そして目の前にいる女の子が、私の双子の妹なんだって。
物心ついた時には、私はすでに一人だった。
私を拾って育ててくれた夫婦は、私の居ないところでいつも「本当ならこんな場所にいるべきお方ではないのに……」と嘆いていた。
その言葉の意味を悟った私は、思わず目の前にいた人に手を伸ばしてしまった。
「父さん……? あなたが私のお父さんなの!?」
「黙れ、触るな、畜生風情が」
再開の喜びを分かち合うべく伸ばした手は叩き落とされる。
あれ? 親とは、こういうものだっけ?
村で見た親子はもっと違っていた。父に肩車され、母に優しく微笑みかけられていた。
怒る時の大人は怖いけれど、それは子供が悪さをするからで。
私はどうして今怒られたのかが、分からなくて。
「さぁ、玉環。これで安心だろう? だけど、来年の一年、玉環は暦姫だから、千載府に行かなくてはならない。だから一年だけ我慢して、お前は飛燕になるんだ」
「父上……父上は私が飛燕になっても、ちゃんと今まで通りに接してくれる……? 」
「当然だとも。お前は可愛い私の一人娘なんだからね」
目の前で行われるけったいな会話に私が目を白黒させているうちに、私の父親らしき人物が私を追い払うように手を振った。
「連れていけ。逃げないよう、元旦祭まで牢に閉じ込めておけ」
鬼だ。
この人は、人間の形をした鬼なのだと、私は思った。
そして私を見て、涙の裏でほくそ笑んでいる妹らしき女の子も、鬼の娘なのだと。
元旦祭は年越えの日に行う儀式のこと。
新しき歳神様の来訪を喜び、もてなすために、神が選んだ娘を捧げ、国の慶事を願う。
その娘が、暦姫。
暦姫は次の元旦祭まで千載府と呼ばれる歳神様を祭る場所で、一年の間、歳神様と一緒に過ごす。
次の元旦祭に人の世界に戻る暦姫もいれば、神隠しに会い、人の世界に戻らない暦姫もいるという。
悪さをすれば歳神様に食べられてしまうよ、というのは村での子供のいたずらを叱る常套句だった。
「薄汚いドブネズミだったあなたは知らないでしょうから教えてあげる。暦姫が奉仕する歳神様は、実は十二の獣なのよ。一年に一匹ずつ、順繰りに歳神様として千載府に降りてくるのですって。獣なんてあぁ恐ろしいわ。それにここ数年、暦姫が千載府から戻ってこない年が続いているんですって。きっと野蛮な獣に食べられてしまったのよ。あなたなんて教養もないから、歳神様の不興を買って頭から食べられてしまうんだわ」
私が閉じ籠められた石造りの牢がある場所にやって来ては、玉環は私にあれそれと気の滅入ることを吹き込んでいく。
最初は訳も分からず連れてこられて、どうしてこんな仕打ちをと憤ってもいたけれど、結局私は無力でなにもできないから、黙って玉環のおしゃべりに付き合うしかなかった。
「私たち、双子なんですって。でも双子って不吉でしょう? お母様が私たちを産んだ時にお父様に内緒であなたを逃がしたそうだけれど……お父様があなたをその時に殺さなくて正解だったって言っていたわ。我が蔡家は大事な跡取り娘を失わず、暦姫を献上した栄誉すら得られるんですもの。そして暦姫のお役目を果たした暁には我が蔡家のさらなる繁栄が約束されるのよ!」
鉄格子の向こう側で、玉環はそれはそれは誇らしそうに胸をそらしていた。
私が何も言い返さないでいると、悦に浸った表情でにんまりと唇に弧を描く。
「ふふ、かわいそうなお姉様。畜生腹の忌み子が獣とつがうなんて滑稽ね」
「……それ、あなたも同じじゃない? 双子なんだから。それに、暦姫に選ばれたのはあなたでしょう?」
「お黙り! 私は蔡家の姫よ! 蔡家で大事に大事にされた胡蝶なのよ! あなたみたいな賤しい育ちの人と同じだとは思わないことね!」
本当のことを言っただけなのに、眦をつりあげ、肩を怒らせ、格子の向こうで怒鳴る玉環。彼女の頭を飾る金細工が揺れて擦れて、石牢に響いた。
私は肩をすくめるだけ。村の親父の怒声のほうがよっぽど怖い。
そうして、時折やって来る玉環をほどほどにいなしながら、牢の中で幾日も過ごした。
私がこの場所に連れてこられたのは冬の始め。
年越えの日に向けて年始飾りを用意し始めた頃だった。
それから本格的な冬を迎え、薄い毛布以外に温まるものなど何もない牢で、ひたすら赤くしもやけた手先に息を吹きかける日が続き。
「出ろ。お前が今日から蔡玉環だ」
ようやく大嫌いな妹の身代わりとして、歳神様に嫁ぐ日がやって来た。
冷えきっていた牢から連れ出されて、随分と丁寧にたまりにたまった垢を擦られ、削られ、ボサボサだった髪も見映えだけは良いように洗われ、櫛で梳かされ、結われ。
見たこともない、雪よりも真白なお衣装を着せられ、頭には重たい銀細工を差し入れられる。
雑な手入れなのに顔ばかり同じなせいで、鏡の前に立たされた私は、少々顔色が悪く窶れてはいるものの、どこからどう見ても「蔡玉環」だった。
門の前に立たされた私に、暦姫を迎える千載府の行列がやってくる。
雪がはらはらと落ちてくる。
顔をあげて灰色の空を見上げれば、私の頬の熱に触れて雪が溶けた。
やがて行列から、それなりに年を重ねた年嵩の神官が一人、歩みでる。
「お初にお目にかかります。わたくしは神がおわします千載府と、皇帝がおわします都府をつなぎまする仙崙府の譚源順と申します」
白い雪に混ざりそうなくらい白い衣装に身を包んだ私の手を取り、使者である源順様は私を輿へと乗せた。
しん、しん、しん。
しん、しん、しん。
雪の音か、楽の音か。
私は小さな匣のような輿の中で、音だけを拾う。
実父と実妹のいるお屋敷にいたという実感もないまま、今度は歳神様のいらっしゃるお山のお宮へと連れて行かれる。
千載府は歳神様が降臨されるお山のこと。
皇帝が住まう都府の宮殿の裏側に聳えるお山が千載府なのだと、玉環が教えてくれた。
私の乗る輿には窓がついていなくて、外の様子が見れないのは残念だ。
重たい衣装も、寒かった石牢に比べれば随分と温かい。
寒さに震えて眠れなかったのが祟ったのか、私はゆらゆら揺れる丁寧で心地よい輿の揺れの中、うとうととうたた寝をした。
どうせ歳神様に食べられてしまうなら、私が眠っている間に終わってしまえば良いのにと、そう願いながら。
◇
招かれたお宮は真っ白な雪に埋もれているものの、それがむしろ人の世と隔絶されているなこように見えて、神聖な場所という雰囲気を醸し出していた。
屋根には雪が降り積もっている。近くまで寄れば、雪が落ちた部分から朱塗りの建物だってことが分かった。
「暦姫様、こちらにございます」
輿から降りた私は、源順様に誘われて着いていく。
輿の中で吐く息が白かったから、かなり寒いのではと思っていたけれど、不思議なことに門を潜ってしまえば凍えるような寒さは和らいだ。
宮の中まで入ってしまえば、あちこちで火を焚いているのかかなり温かい。
それまでずっと寒い場所にいた私の指先に、じんわりと熱が通っていく。
宮の中をじっくりと見ながら歩いていくと、やがて宮の中でもかなり奥まった場所にたどり着いた。
大きな扉の前で、源順様がゆったりと私を振り返る。
「この扉の奥に、今年の歳神様がおわします。一年を通じ、しかとおもてなし成されますよう……」
拝をした源順様に、私はぐっとお腹に力をいれた。
たとえ身代わりだとしても、今ここにいるのは私だ。
歳神様だろうと、獣だろうと、私が相手しなければならない以上、やってやろうじゃないか。
それにどうせ私に帰る場所なんてないのだから、上手くやれば一年分の衣食住を保証してもらえるこの場所は、私にとって都合が良いのかもしれない。
一年後のことは、またおいおい考えれば良いし。
とりあえず、一年分の衣食住を確保できるというのならば、ご奉仕だろうが、おもてなしだろうが、何でもやってやる。
そう、意気込んだ私だけど。
源順様がゆっくりと開けた扉の先で。
一匹の牛が敷物の上に寝そべっていた時には、さすがに目を疑った。
「……え? 牛?」
「歳神様でございます」
ぴしゃりと源順様にたしなめられる。
いやでもあれ、どう見たって牛……。
脳裏に嫌味な妹の言葉が響いた。
『暦姫が奉仕する歳神様は、実は十二の獣なのよ』
頭から食べられるとか言ってたからどんな獰猛な獣がいるのかと身構えてみれば、まさかの牛?
一瞬、あまりの脱力感で目の前が暗くなった。
「ンモォォォ」
「暦姫様、ご無事でございますか」
「……も、申し訳ありません」
源順様に支えられ、なんとか落ちそうになった意識を取り戻す。
確かに牛も獣だよね。歳神様がどんな姿であれ、一年間のお勤めを果たして見せると覚悟したけど……想像していたのは虎や狼といったもっと獰猛な感じの獣だったので、なんだか拍子抜けしてしまった。
心なしか心配そうな鳴き声を上げて立ち上がりかけた牛が、私が無事だと気づくとほっとしたようにまたゆったりと寝そべる姿勢をとる。
そしてまた一声鳴いた。
「ンモォォォモォォ」
「……え? えっと?」
「暦姫様。歳神様は暦姫様がいらっしゃったことをたいそう喜び、その旅路を思い、労っておられます」
「えっ? ……え?」
ごめんなさい、私にはどうあがいたって「ンモォォォォォ」としか聞こえません。
戸惑っている私に気がつかないのか、源順様は居ずまいを正すと、ゆったりと品のある所作で私と牛の前に跪いた。
「それでは暦姫様。謹んで、新春のお慶びを申し上げます。歳神様と共に、滔々と流るる川の如く、悠々と揺蕩う雲の如く、我らが国、我らが人民の時をお刻みくださるよう、お願い申し上げます。……どうかこの一年、心安らかにお過ごし下さい」
頭を深く垂れ、拱手し、口上を述べる源順様。
私は背後の牛を見やる。
牛は悠然とそこに寝そべり、私たちをひどく優しい瞳で見つめていた。
その瞳から、まるで私を受け入れてくれているような意思を感じて、私はいよいよ腹をくくる。
着なれない衣装の裾をなんとかさばいて、たどたどしくても、あの石牢に閉じ込められた時に教えられたように儀礼用の言葉を述べた。
「謹んで暦姫としてのお勤めをお受けいたします。皆様が健やかにこの一年を過ごせることを、切に祈っております」
「ンモォォォ」
私の後ろで牛が鳴く。
なんとなく、前途多難な一年になりそうな予感がした。
たとえ牛にご奉仕しないといけないとのだとしても、新鮮な乳が毎日飲めると考えればそう悪くないかもしれない……? ……あ、駄目だ、この牛は雄だ。
「ンモォォォォ」
抗議するかのような鳴き声が聞こえた気がした。
源順様が何かを探るように視線を上げて私を見るけど、私は笑ってごまかした。
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