加地亮介

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加地亮介

翌日、ユキの教室にある机の上には、綺麗な花が飾られた。それを置いたのは加地だった。 松田が学校に着いた頃には、校内は生徒たちで賑わっていた。廊下では友人ら話をしている加地の姿を見つけた。時々笑顔も見られ、普段と変わらない様子に松田は少し安堵していた。 そんな松田に気づいた加地が、挨拶をしながら駆け寄ってきた。 「真ちゃん、おはよう!」 その顔は、遠目では気づかなかったが疲れた様子で、目は泣き腫らしていた。 「顔色悪いな」 「あー、嫌な夢を見てさ。よく眠れなかったんだよ」 「まぁ、昨日の今日だしな」 「メール返さなくてすまねぇ」 「別に。それより、もうあれには関わらない方がいい」 「わかってるけど、許せないんだよね。あの白い服の婆さんのこと」 「胸騒ぎがするんだよ」 「真ちゃんは怖がりだなぁ」 加地が茶化すように笑う。 「茶化すな。真面目に言っているんだ」 二人の様子を見ていた加地の友人が不思議そうに見ている。それに気づいた松田は話を切り上げた。 「とにかく、あのDVDは早く返して来いよ」 そう言って松田は加地から離れ、自分の教室へと足を向けた。 「わかったよ」 加地はニコニコしながら手を振った。 「俺のところに出てきたら、俺がユキの分までぶん殴ってやるさ」 放課後、松田が加地の教室に寄ると、すでに帰ったようで加地の姿がなかった。別々に帰ることは珍しくなかったが、どうにも胸騒ぎがしてならなかった。 しかし帰ってしまったなら仕方がないと、松田は一人帰ろうとしたところにクラスメイトの田中に誘われ、駅まで一緒に帰ることにした。 帰り際、映画の話になった途端、田中は目の色を変えて熱弁し始めた。 田中の映画好きは有名で、どんなに疲れていても毎晩必ず一本の映画を見るという。知識も豊富で、周りから映画ヲタクと呼ばれていた。 そんな田中なら何か知っているかもしれないと、松田は「山荘の惨劇」という映画を知っているか尋ねた。 だが、田中はタイトルを聞いて首を傾げ、ジャンルがホラーだとわかると冷めた表情で「ホラーは無理」と断言した。 田中は怖いものが大嫌いで、幼い頃に見たホラー映画がトラウマになり、それから一本も見ていないという。 「そうか……」 がっかりする松田を見て不憫に思ったのか、田中は「広瀬に聞いてみては」と助言した。 広瀬繭 。彼女はいつも一人でいる。放課中は教室で、放課後には図書室で本を読んでいる。オカルト物を好み、おばけ横丁の呪いのDVDの噂を加地に教えた張本人である。 「今度、広瀬に聞いてみるよ。ありがとう」 「どういたしまして。あとはパソコンで調べてみるとか」 「俺、パソコンは持っていないんだ」 「それなら、あそこに行ったら?」 そう言いながら、田中は駅前の方に指を差した。そこは雑居ビルがあり看板には「ネットカフェ」と書かれた雑居ビルがあった。 「値段もそんなに高くないし、行ってみたら。でもまぁ、そこのネットカフェは使わない方がいいけど」 「なぜ?」 「駅前はカラオケとかゲーセンとか遊ぶ場所が多いから、先生たちがよく巡回しているだよ。見つかると厄介だよ。じゃーね!」 田中はそう言って手を振ると駅前のバス停に向かって走り、止まっていたバスに飛び乗った。 走り去るバスを見送った後、駅前のネットカフェを見ていると、ゲームセンターの中からちょうど見回りをしていた教師が出て来る。それを見た松田は、諦めて駅の改札に入っていった。 松田が駅のホームに降りると、そこには談笑している女子高生や不機嫌な若い男、そして疲れ果てた様子の大人たちが電車を待っていた。電光掲示板には、別の路線で起こった人身事故の知らせが流れ、それを見た松田はユキの死と重なった。 電車に揺られること約一時間。駅の改札を出た時には、空はすっかりオレンジ色に染まっていた。改札を出た通勤客は、松田を追い越しながらそれぞれの家路につくのだった。 一方、松田は何となく遠回りをして帰りたくなり、小さな商店街の道を途中で曲がり、細い路地に入った。そこは昔、友達とよく通っていた道だった。夕食時には美味しそうなにおいが漂い、室外機の上にはよくまん丸な猫が寝ていた。昔よりも狭く感じる道。今では下水のにおいがするだけで、猫の姿もなかった。 路地を通り抜けると、二階建てのゲームセンターがあった。付近に住んでいた友人と待ち合わせをして、内緒でよく入っては対戦ゲームで楽しんでいた。 今もその建物は残っていたが、看板はゲームセンターではなく、「ネットカフェ」に変わっていた。 しかし、この場所にネットカフェがあることは、松田にとって好都合だった。見回りをする教師もおらず、ゆっくりと調べものが出来る。 とはいえ、松田は初めて入るネットカフェに緊張していた。 入口の自動ドアが開くと、かつてのゲームセンターとはまるで違う内装が目に入った。落ち着いた照明に、流行りの音楽が流れている。 壁には案内図が飾られ、一階には自動販売機と個室があり、二階はコミックとDVDのエリアになっているようだった。  正面にある受付を見ると、カウンターの向こうに男性店員らしき頭が見えた。松田が覗き込むと、店員はスマホゲームに夢中になっているようだった。 「すみません」 松田は声を掛けた。だが一度では気づいてくれず、何度も声を掛けてようやく店員が顔を上げた。店員は不機嫌そうにクチャクチャとガムを噛みながら、「何?」と答えた。 松田は戸惑いながらも、壁に書かれた料金表を見た。 「一時間、お願いします」 そう言うと、店員は「五百円。そこ置いといて」とテーブルを爪で二回叩いた。 松田が財布から出した五百円をカウンターに置くと、店員は何も言わずにお金を取ると、またスマホゲームをやり始めてしまった。 店員の態度に呆れながらも、松田は案内図に沿って個室のある通路を進んだ。 通路の両脇にはいくつかの個室の扉が並び、天井と仕切り板の間には隙間が空いていた。個室の前を通ると、中からは物音や小さな独り言が聞こえてくる。どの扉も閉じていて、空いていたのは一番奥の個室だけだった。だがそこは、明らかに薄暗くて隣の個室からは大きなイビキが聞こえる最悪な場所だった。 渋々その個室に入った松田は、不慣れなパソコンを使い、「山荘の惨劇」と検索をかけた。検索ページには山ほど表示されたが、どれも映画とは無関係な山荘の紹介サイトや別の事件情報ばかりだった。古いページはすでに削除されて見ることが出来なかった。 時間ばかりが過ぎていく。 隣から聞こえる大きなイビキに気が滅入り、次のページを最後に帰ろう。そう思いながら次のページに飛んだ。 すると、とある映画情報サイトを見つけた。デザインはシンプルなもので、映画情報は閲覧者でも登録が出来る仕組みになっていた。トップ画面には大手の映画のタイトルと評価が表示されていた。中には見たこともないタイトルがあり、そこには自主映画と表示されていた。新着映画情報を見る限り、更新が止まってから二年以上は経っているようだった。 試しに検索フォームに「山荘の惨劇」と文字を打ち込んで検索をかけてみた。すると、いくつか「山荘」と「惨劇」を含んだ映画タイトルが表示され、その一番下に「山荘の惨劇」の文字を見つけた。 その瞬間、松田は興奮して身を乗り出した。 マウスポインターを「山荘の惨劇」の文字に合わせクリックすると、画面が一瞬で真っ白になった。ページが重いのか、なかなか表示されない。松田は何度も何度も更新ボタンを押し、ようやくページが表示された。 そこには制作された年、脚本、監督、キャスト、スタッフ、あらすじ、プレビューが載っていた。 制作された日付は、今から十年程前。自主製作映画で、監督もキャストも誰一人知らない名前が載っていた。画像はなく、上映された映画館は一か所だけ。その映画館を調べてみると地方にある小さな映画館で、今ではもう取り壊されていた。情報ページの下に、感想や評価を投稿できるスペースがあった。 そこに一件だけ書き込みがされていた。 ーこの映画は、実際に起こった事件が基に作られている。その事件は当時地域新聞に載ったが、知っている人はほとんどいないだろう。白い服の女のモデルとなった被害者は悲惨な人生だった。だから、この映画は呪われている。それでも見たいというのであれば止めはしない。 HN:カースド 呪いという言葉が書かれていた。それはいたずらか真実か。 そこには、実際に起こった事件と書かれていた。どんな事件だったのかを調べようとしたが、すでに一時間が過ぎようとしていた。 まだまだ調べたい。延長しようか迷っていると母親から買い物の催促メールが届き、松田は仕方なく個室を出た。 受付の男性店員は未だにスマホゲームに夢中で、松田が前を通っても気づかなかった。店を出ても、何の言葉もなかった。 母親に頼まれた買い物を済ませた松田は、ページに書かれた文字を思い出していた。 ”この映画は呪われている”  呪いを信じていなかった松田だが、映画の最後に流れた不可解な映像や、集会場で聞いたユキの死を思い出し、胸中がざわついた。 部屋に戻った松田は、加地に電話を掛けた。 呼び出し音が鳴っているが、加地はなかなか電話に出ない。それでも待っていると、 「いい加減にしろよ!」 ようやく出た電話の向こうから、加地の怒声と荒い息遣いが聞こえ、松田は驚いた。 「ど、どうかしたのか?」 「あ、真ちゃんか……。ごめん。気にしないでくれ」 加地は明らかに動揺していた。だが、何があったのかと尋ねても、加地は「何でもない。大丈夫」というばかりで答えようとはせず、仕方なく松田はネットカフェで調べたことを加地に伝えた。 すると、加地は食い入りように白い服の女の正体について、を聞いてきたが、わかったのは映画関係者の名前だけだと伝えると、加地はがっかりした様子だった。ただ、レビューを載せていたカースドという人物が、何か知っていると踏んだ松田は、そのことを加地に伝えようとした。 すると、まるでその話題を遮るようにノイズが入り、加地の声が聞こえづらくなった。 「そっちノイズが酷いな。電波が悪いんじゃないか」 耳障りなノイズが聞こえる。 「もう……疲れた……、……寝る……」 そう聞こえた後、松田が返事をする前に電話は切れてしまった。 翌日、加地は学校を休んだ。 ユキの机の上には花と花瓶が置かれたまま。その花は少し萎れていた。加地とユキの関係を知っていた者たちは、加地への同情を口にしていた。 松田は広瀬に会うために、放課後の図書室に向かった。広瀬とあまり会話をしたことがなかった松田は、放課中にも広瀬の様子を見に教室に足を運んでいたが声はかけなかった。 教室内では生徒たちがそれぞれのグループを作り談笑をする中、広瀬だけは教室の隅にある自分の席で本を読んでいた。 「誰かに用事?」 教室に戻ってきた女子に尋ねられ、松田はとっさに特に用もない男子生徒を呼びつけた。何故なら、クラスの女子たちは噂話が大好き。広瀬と変な噂が立つことを恐れからだった。 放課後ならば、見られることもないと考えた。下校を促す校内放送が鳴る中、松田は誰もいなくなった教室を出て、足音が響く階段を上り、静かな廊下を歩いて図書室の前にやって来た。 図書室のドアを開けると、少し埃っぽい紙のにおいがした。 本棚がずらりと並び、そこには数えきれないほど本が並んでいる。奥のスペースには椅子と机が並び、そこで男子生徒が一人物書きをしていた。 だが、肝心の広瀬の姿がどこにもなかった。 「なんだいないのか」 そう呟き、松田は図書室を出るとそのまま学校を後にした。 松田はまた地元のネットカフェに寄ることにした。 店に入るとチャイムが鳴り、受付カウンターから男性店員がそっと顔を覗かせた。それは昨日と同じ不愛想な店員で、またスマホゲームで遊んでいるようだった。 店員は松田に「いらっしゃいませー」と言いながら、すぐに目線を下に落とした。松田は利用時間を伝え、テーブルの上にお金を置いた。店員は松田のことを見ようとせず、「勝手にどうぞー」と言った。 不真面目な店員に憤りを感じつつも、松田は個室のある通路に向かった。個室のドアは相変わらずどれも閉まり、中から人の気配がする。 空いていたのは、やはり一番奥の薄暗い個室。隣はまた寝ているのか、大きなイビキが聞こえてくる。 個室に入ると、松田はパソコンに向かいさっそく昨日見つけた映画情報サイトにたどり着き、そして監督について調べ始めた。 いくつかのサイトを見つけたが、監督と同姓同名の弁護士、税理士、地域のマラソン大会の出場者など、映画と関わりのない人ばかりだった。 監督を諦めた松田は、次にキャストの名前を検索することにした。キャストならば公式サイトや他に出演している作品が見つかると思った。 だが、同じように名前が表示されても、同姓同名の別人ばかり。誰一人として見つけることが出来なかった。 ふと、カースドという人物が書いていた、“実際にあった事件”を調べることにした。詳細はわからない。映画の内容を思い出しながら、キーワードを打ち込んでいった。 キャンプ場、山奥、呪いの家、地下室、監禁、女性、鎖、殺人、大学生、自殺、幽霊、呪い。 キーワードが増えるほど、集まるページも多くなる。しかも、どれも関係のない観光地の情報や、出会い系サイト、知りたい事件とは違うもの。これまでどれほどの数の事件が世界中で起こってきたか。地方新聞に載った程度の事件をインターネットで探すのは不可能に近かった。 そこで、白い服の女性のことに絞った。 山奥、地下室、監禁、女性、鎖。 これまで起こった監禁事件のニュースや関連サイトが見つかった。松田は一つ一つ記事を読み、白い服の女性の事件を探った。どれも痛ましく悲しい監禁事件ばかり。加害者の動機はどれも身勝手なものばかり。そんな記事をいくつも読むにつれ、頭がどうにかなりそうになった。 それに、どれも白い服の女性の事件とは無関係なものばかり。 「せめて、事件が起きた地域がわかれば」 集中する松田の横で、耳障りな大きなイビキが聞こえてくる。 「うるさいな」 松田はぽつりと不満を呟き、軽く隣の壁を叩いた。 一瞬、鼻が詰まるような音がした後、隣のイビキが止んだ。 松田は耳障りな音が止みホッとしたが、直後に鋭い視線を感じて背中に悪寒が走った。 耳障りなイビキが、今度は隣ではなく天井の方から聞こえて来た。 松田は音がする方向を見上げた。 すると、隣の壁と天井の間から顔を出し、松田のことを睨んでいる男がいた。脂ぎった大きな顔と髪、血走った目の下にはくっきりとした隈が出来ていた。イビキだと思っていたその声は、隣人の息遣いだった。 脂ぎった男は、何も言にただただ松田を睨み続けている。 松田は恐怖を感じ、「すみません……」と俯きながら小さな声で謝罪した。 脂ぎった男は執拗に睨んでいたが、しばらくしてようやく顔を引っ込めた。そして、隣の個室からはまたイビキのような息遣いが聞こえるのだった。松田は逃げるように、ネットカフェを後にした。 帰り際、加地に電話を掛けたが、電源が切れているようで繋がらなかった。不安だけが募っていった。 翌日、加地はまたも学校を休んだ。廊下を歩いている松田の耳に、加地を心配する声や不謹慎な噂話が聞こえて来るようになった。 ユキの机の上の花は枯れてしまい、学級委員の女生徒が花瓶からそっと枯れた花を抜き取りゴミ箱に捨てた。机には花瓶だけが残った。   昼休み、松田は友人と食堂に向かった。喧しいほど賑わう食堂。先に来た生徒たちでテーブルは埋まり、食券売り場には長蛇の列が出来ていた。松田は諦め、売店でパンを買って近くの階段に座り込んだ。 一緒に来ていた友人が、売店でずっと悩んでいる姿が見えた。 松田がパンを一口食べたところで、ポケットに入れておいたスマホが振動した。画面には加地と表示され、慌てて通話ボタンを押した。 「亮介か。どうして電話に出ないんだ。心配するだろ」 「ごめん、真ちゃん。いたずら電話が多くて、しばらく電源を切っていたんだ。俺、あれからずっと監視されている。どんなに探してもカメラは見つからないのに、テレビには俺の部屋が映るんだ。だから、もう部屋にはいられない」 「今どこにいるんだ?」 「ファミレスで時間を潰したり、漫画喫茶で寝泊まりしたりしている。なぁ、真ちゃん。しばらく真ちゃんの家に泊めてくれないかな」 「わかった、来いよ」 「ありがとう」 「それで、あのDVDはちゃんと返却したのか?」 「まだ部屋にあるよ。悪いけど、真ちゃんが返しておいてほしい。あの部屋に戻りたくないんだ」 「鍵はどうするんだよ」 「鍵は玄関の白い花の植木鉢の裏側にある。持っていると無くすから、いつもそこに置いて行くんだ」 「わかった。それでいつ俺の家に来る?」 「今日の夕方、真ちゃん家の近くの駅で待ってるよ」 「わかった」 松田は了承し、そのまま電話を切った。加地の声を聞いたことで、松田は少し安堵していた。 授業が終わり、松田は友人の誘いも断り足早に学校を出た。電車に乗り、地元の駅に到着すると、駅前で加地の姿を探した。多くの学生や通勤客が松田の横を通り過ぎていく。加地はまだ到着していないのか姿が見えない。松田は改札前のガードレールに腰を掛けながら待つことした。 空がオレンジ色に染まり、駅には何度も電車がやってきては走り出し、そのたびに改札からは人が溢れ出てきた。 だが、いつまで経っても加地は現れない。加地に何度も電話を掛けたが繋がらず、メールも返って来ない。 そのうち日が暮れて、空が暗くなってきた。 駅前の街灯の明かりが灯り、改札から出てくる人々の数もだんだんと減っていった。 待ち合わせからすでに二時間が経とうとしていた。改札から、見慣れたスーツ姿の男が出てきた。それは松田の父親だった。 「真一、何をしている。家に帰らないのか?」 「今日は早いですね」 「たまにはな。誰かと待ち合わせか?」 「亮介という友人と待ち合わせています。事情があって、しばらく泊めて欲しいと」 「何時に待ち合わせなんだ?」 「夕方です」 「今は夕方か?」 「いえ……」 「一緒に帰るか」 「でも……」 「遅くなるとお母さんが心配する。門限を破る気か?」 「帰ります……」 加地は現れず、松田は父親と帰ることにした。 家に着き、松田は加地のことを気にしながらも、家族との夕食を済ませた。電話を何度もかけたが、留守電に繋がるだけだった。 松田は机で予習をしながら加地からの連絡を待った。 次第に夜が更けていく。 隣の部屋から聞こえていたテレビの音や茜の笑い声も消えた。テレビも音楽もつけていない静かな松田の部屋に、ノートを走り書くシャーペンの音だけが響いていた。 しばらくして、スマホの着信音が鳴り響いた。振り向くと、テーブルの上に置いたスマホが音を鳴らしながら振動していた。画面には加地と表示され、慌てて通話ボタンを押した。電話の向こうから、ノイズ交じりの加地の声が聞こえた。 「もし……し、真ち……ん。……めん」 「お前、待っていたのにどうして来なかった」 「あいつがいたんだ! あいつ、どこにいても追いかけてくる。俺の事を監視してるんだ。どうしよう。俺、死にたくはない。真ちゃん、助けてよ」 加地の声は震え、最後は泣いていた。 「今どこにいるんだよ」 加地は動揺しているのか、松田の声が届いていないようだった。 「あのDVDはもう見ないでくれ。関わっちゃいけなかった。本当にごめん、真ちゃん。やばい、来た! ど、どうしよう。助けてくれ、真ちゃん……ああああああ!」 加地の叫び声が聞こえる。 「亮介!」 机に伏せていた松田が飛び起きた。動揺しながらも、手元にスマホがないことで夢であったことを理解した。スマホはテーブルの上のまま。着信履歴を確認しても、加地からの着信はなかった。時刻はすでに夜中0時を過ぎ、松田は教科書を鞄の中に片付けて眠ろうとした。 その時、玄関のチャイムが鳴った。 「こんな夜中に誰だ。亮介か?」 松田は部屋のドアを開けて廊下に出た。 電気が消えた廊下は、窓から漏れる街灯の灯りで薄暗い。 ピンポーン また玄関のチャイムが鳴った。 「こんな夜中に何度もチャイム鳴らすなよ。家族が起きるだろ」 松田はなるべく音を立てないように階段を一段一段静かに下りた。その間も、チャイムは鳴り続ける。 一階の廊下も薄暗く静かだった。こんなにもチャイムが鳴っているというのに、両親が起きてくる気配がない。 松田は玄関のドアに張り付き、控えめに声を出した。 「亮介か?」 ピンポーンとチャイムが鳴るも、ドアの向こうから加地の声は聞こえない。 「亮介じゃないのか?」 どんなに声を掛けても返事はない。松田は不審者かもしれないと、ドアスコープで外を覗いた。 するとそこには誰もいない。 だが、チャイムはまだ鳴っている。松田がドアノブに手をかけ、ほんの少しだけドアを開けて外を覗いた。  だが、やはり玄関の前には誰もいない。 チャイムの音が鳴り止み、松田は家の外に出てみたが辺りのは誰もいなかった。 怪訝に思いながら玄関の鍵を閉めた瞬間、背後に人の気配を感じた。 家族が起きてきたと思った松田は振り返ったが、そこにはただ薄暗い廊下が続くだけで誰もいなかった。 部屋に戻った松田は、ベッドに横になり目を閉じた。すると、夢の中で聞いた加地の弱々しい声と叫びが蘇り、眠ることが出来なかった。 そして、そのまま夢現に朝を迎えた。一階に下りると、休日ということもありキッチンで朝食の支度をしている母親の姿はなかった。 茜はもちろんのこと、父親もまだ寝ているようで家はとても静かだった。 松田は加地のことが気になり、早朝にも関わらず一人家を出た。 空はすでに明るく、風が少し冷たく空気は澄んでいた。早朝のせいか、住宅街には人の姿もなく静かだった。 足早に駅に向かう松田。その途中で聞こえて来た救急車のサイレン。静かだった住宅街が一変する。サイレンは、駅に近づくにつれ大きくなり、加えて消防車やパトカーのサイレンまでもが聞こえてくるようになった。事件か事故か。普段は平和で静かな住宅街。こんなにもサイレンが鳴り響くことはない。 胸騒ぎがして、立ち止まり松田。 だが、サイレンの音は聞こえても、肝心な車両が見当たらない。松田にはサイレンがどこに向かっているのか見当もつかない。結局、一台も見かけることなく駅に着き、そのまま電車に乗り込んだ。 加地のアパートには、数えきれないほど訪れた。駅を降りてからの道筋も、自分の家のようにわかっている。約束をすっぽかした加地だが、もしかしたらアパートに戻ってきているかもしれない、松田はそう思っていた。 駅からしばらく歩くと、加地のアパートが見えてきた。アパート前の道路では細身で白髪頭の男性が掃除をしていた。男性はアパートの管理人。廊下の見回りや掃除をしている姿をよく見かけていた。顔を合わせれば挨拶を交わし、松田が加地の友達だということも知っている。 松田は管理人に挨拶をした。すると、管理人が松田に気づき、いつものように笑顔で手を振ってきたが、その後すぐにバツが悪そうに近づいてきた。 「加地君の家に遊びに来たの?」 「まぁ、そんなところです」 「あのね、言いにくいんだけど。加地君に伝えておいてくれないかな」 「なんですか?」 「ここ最近ね、横と上の住人から苦情が来てたのよ。加地君の部屋から、壁を叩く音や奇声が聞こえてうるさいって」 「奇声ですか?」 「住人が言うにはね。怒鳴ったり、叫んだりで怖いって。良からぬことでもしているんじゃないかって。彼に話を聞こうと部屋に行ったんだけど、ずっと留守みたいで出ないのよ。今までそんなことなかったのにね」 「そうですか……」 「彼に会ったら、あまり騒がないようにって伝えておいてくれるかな」  「わかりました」 そう返事をすると、管理人はまた掃除の続きを始めた。松田は加地の部屋の前に立ち、インターホンを鳴らした。だが、いくら待ってもドアは開かず物音すらも聞こえない。ノックをしてみても、結果は同じだった。 ふと、松田は加地の言葉を思い出した。 「鍵なら、いつも玄関の白い花の植木鉢の裏側に置いてあるよ。持っていると無くすから、そこに置いて行くんだ」 玄関前の壁沿いには、白、赤、黄色の花を咲かせた鉢植えがいつも並んでいた。 「随分と似合わないものが置いてあるな」と松田が言うと、加地は少し怒りながら、 「俺の趣味じゃねぇよ。可愛いから飾ろうってユキが勝手に買ってきたんだ。俺は花なんて面倒くさいのは嫌いなの。毎日水やらなきゃいけないし、なんか栄養剤っちゅーの挿さなきゃいけねぇし。まったく面倒だよ」 文句を言いながらも、鉢植えの花はいつも綺麗に咲いていた。夜中にこっそりと水やりしていたことも、松田は知っていた。 加地はユキのことが大好きだった。 しかし、いま松田の足元にある鉢植えの花は、しばらく世話をされていないようで萎れていた。 松田は白い花の植木鉢の裏を探った。すると、乾いた固い土の上に鍵が置いてあった。そして、その鍵を使い、加地の部屋に入った。 玄関には加地の靴が何足か置いてあったが、普段履いている靴は見当たらなかった。 部屋は静まり返り、キッチンには溜まった食器とゴミが放置されていた。随分と散らかっているのが気になった。 そして、テレビのある部屋に入った瞬間、その光景に息を呑んだ。脱いだ服がそこら辺に投げ捨てられ、床にはゴミが散らかっていた。壁にはカビのような黒いシミが、滲むように広がっていた。何より驚いたのは、壁や天井の一部に刃物で傷つけたような跡がいくつもあり、天井の欠片がベッドの上や床に散らばっていた。 加地の身に一体何が起こったのか。 松田は部屋を見回しながら唖然とするばかりだった。 その時だった。突然、テレビの電源がつき画面に砂嵐を映した。松田は砂嵐の音にビクリと肩を震わせた。 砂嵐の画面の隅には、「ビデオ1」と表示された後、現れたのは薄暗いコンクリートの壁に囲まれた部屋。弱々しい明かりの下で、手足を鎖で繋がれた白い服を着た女が、両手で顔を覆いながら蹲り、泣いているのか肩を震わせている。その髪はボサボサで、白い服は土で汚れているようだった。 そして、スピーカーから何か呟いているような声が聞こえるが、何を言っているかは聞き取れなかった。 映像がノイズで乱れた後、部屋に立ち尽くし怯えているユキが映った。  それは「山荘の惨劇」で見た不可解な映像。だが、白い服の女が蹲っている映像など見た記憶はなかった。 映像はすぐに砂嵐になった。砂嵐の中で、スピーカーから呻き声が聞こえてくる。気味が悪くなった松田は、ディスクを取り出そうとデッキの取り出しボタンに手を伸ばした。 すると、砂嵐から再び映像が映し出された。 松田の手がピタリと止まる。画面に映っているのは加地の部屋。以前見た時には、誰もいない加地の部屋で映像が終わっていた。 だが、目の前の画面には、ソファでスマホをいじっている加地の姿が映っている。そして、映像の中の加地は、何処かに電話を掛けては、何も言わずに切る、を繰り返していた。 映像はユキの時と同じようにノイズで途切れた後、また違う時間帯の様子を映した。まるで加地のことを監視しているかのように。 テーブルの上に置かれた弁当。加地はそれに手を付けず、ただスマホを見ながら震えている。 加地が立ち上がり、何かを探すように部屋を見回した。その顔は険しく、少し怯えているように見えた。 映像はノイズで乱れ、またしばらく経った部屋の様子に切り替わった。そこには、電気が消えて暗いのか、部屋全体が灰色に染まっていた。ベッドで寝ている加地の姿が映っている。寝苦しいのか、体を何度も左右に寝返りを打っていた。 映像はノイズと共に何度も切り替わる。 テレビを見ていた加地は、突然壁の方を見て立ち上がる。壁に耳を当てたまま、しばらくすると首を傾げてまたソファに戻る。 よく見ると、壁に黒いシミのようなものが見えた。 次の映像では、加地が部屋でテレビの方を向いて立ち尽くしている後ろ姿が映った。加地は振り向き、映像を見ている松田の方を見上げて睨んだ。 次の映像では、加地がベッドに座りながら両耳を手で塞いでいたかと思えば、突然叫び出して壁に向かって何かを投げつけた。 次の映像では、DVDデッキからディスクを取り出すと、足で何度も踏みつけた。ふと、映像を見ていた松田があることに気づいた。それは壁についた黒いシミが、明らかに広がっていた。 次の映像では、足を投げ出しながらベッドで寝ている加地が映っている。すると、壁の黒いシミから黒い何かが流れ出し、床に広がっていった。それは一か所に集まると、人の足のような影になった。すると、寝ていた加地が苦しそうに呻きだした。 その影がすっと消えた途端、加地はベッドから飛び起きた。 松田は額にかいた汗を拭いながら、キョロキョロと部屋を見回した。そして、何もないことがわかると、キッチンの方へ向かった。 再びテレビが砂嵐になった後、部屋には立ち尽くす加地が映った。加地の視線の先には、砂嵐が映っている。加地はその砂嵐を、ずっと見つめていた。ふと加地が振り向き、画面越しにいる松田の方を見上げた。 加地の手にはナイフが握られ、ふらふらとベッドに乗ると松田の方を睨みつけた。その目は、見たことがないほど虚ろだった。テレビ越しに加地と目が合った時、加地は何度も何度もカメラの方に向かってナイフを突き刺した。 天井にナイフが突き刺さる音が聞こえる。だが、そのカメラは現実には存在しないのか壊れることがなく、加地の姿がずっと映っていた。 その背後に白い人影が現れた。加地は気づいていないのか、ナイフを天井刺し続けている。 映像にノイズが混ざり乱れた。すると、加地の背後に白い服の老婆が立っているのが見えた。殺気を感じたのか、加地は手を止めると振り返ると、白い服の老婆の姿が消えた。何かを察したのか、加地はスマホを手に取り、どこかに電話を掛けたが、相手に繋がらなかったようで、何も話すことなく電話を切った。 再び映像が乱れると、次に映し出された場所は加地の部屋ではなかった。薄暗い壁に囲まれた狭い個室。テーブルにはパソコンと漫画本、それに飲みかけの缶ジュースが置かれ、誰かが電話を掛けていた。ふい見上げたその人物は加地だった。その場所は、加地が避難していた漫画喫茶だった。 映像には、誰かと電話している加地の姿が映っている。音割れしているスピーカーから、松田と話している会話が聞こえてくる。 それは松田と加地が駅で待ち合わせの約束をした、あの電話だった。 電話を終えた加地が、個室を出て行く姿が映っていた。 また映像がノイズで乱れ、次に映ったのは松田がよく知る駅前。人通りが多い駅前で、スマホをいじりながらガードレールに腰かけている加地の姿がある。そこは、ちょうど松田が加地を待っていた同じ場所だった。だが、松田が着く前のことのようだ。 スマホを見ていた加地が、突然顔を上げて周囲を見回しながら動揺し、突然どこかに走り出した。 映像はまた乱れ、別の場所に切り替わった。 そこは灰色と化した薄暗いどこかの路地裏。路面はゴミと落ち葉で汚れ、周囲はひび割れのブロック塀とくすんだ窓と配管がぶら下がったビルの壁が見えた。 そこへ、加地が後方を気にしながら走ってきた。スピーカーから“こっちに来るな”と割れた声が聞こえる。 先が袋小路になっていると気づいた加地。引き返そうとしたが、背後から白い人影が現れると、加地は動揺し右往左往しはじめた。ポケットからスマホを取り出し、どこかに電話を掛けるが繋がらないのか、何度もスマホを耳に当てたりしていた。その間にも、白い人影がゆっくりと加地の方へ近づいていく。 映像は薄暗くノイズが混ざり、スピーカーから僅かに鎖の擦れる音が聞こえた。 加地に近づくその人影は、やはり白い服の老婆だった。 逃げ場のない加地。目の前には白い服の老婆がいる。すると、加地は首に手を当てながら苦しみだした。暴れる加地の首に、黒い鎖のような影が見えた。それはどんなに解こうとしても消えず、呻き声をあげながら抵抗していたが、加地の体が微かに痙攣した後、腕をだらりと垂らし動かなくなった。 それを見ていた松田は絶句した。 映像は再びノイズで乱れ、次に映し出されたのは、ロープが首に巻き付き、錆びたパイプに吊るされた加地の姿だった。 それを見た松田は、吐き気を催し台所で嗚咽した。張り裂けそうなほど心臓が鼓動していた。 その時、スマホの着信音が鳴り響いた。画面には、クラスメイトの「高橋」の名前が表示されている。 「……もしもし」 松田は平常心を装いながら電話に出た。 「聞いたか!? 亮介が、亮介が死んだらしいぞ。場所は知らないけど、首を吊ったって!」  高橋はかなり動揺した様子だった。 「……そうか」 松田の視線の先には首を吊った加地の姿が映っている。高橋の言葉は、目の前の映像が現実の出来事であることの証明となった。 高橋は戸惑いながらも松田を励まそうとしていたが、その声は松田の耳には届いていなかった。 松田の視線の先には、頭と手足をだらりと垂らし、吊られた体がわずかに揺れている。 それを見上げている白い服の老婆。 映像にノイズが混じり、白い服の老婆が徐に松田の方を振り向いた。 画面越しに、松田は白い服の老婆と目が合った。すると、白い服の老婆は何かを呟いた。 ー次ハオ前ノ番ダ。 地を這うような声でそう聞こえた。 松田は慌ててテレビを消そうとした。だが、映像は消えずに別の場所を映し出した。 誰もいない部屋。綺麗に片付けられた部屋の床。窓の隙間からの風で揺れるカーテン。見慣れた机、タンス、ベッドとオーディオコンポとギター。 「俺の部屋だ……」 そこに映ったのは、自分の部屋だった。 松田は慌ててDVDデッキの取出しボタンを押したがディスクが出て来ない。 部屋のドアが開き、そこに入ってくる松田の姿が映った後、映像はノイズで乱れ砂嵐となった。 DVDデッキのトレイが開いた。そこには、加地が踏みつけて壊したはずの山荘の惨劇のディスクが無傷の状態で乗っていた。松田は震える手で山荘の惨劇のディスクを手に取った。すると、耳元で鎖の擦れる音が聞こえた気がして、急いで山荘の惨劇のディスクと他のDVDを拾うと、加地の部屋を出たのだった。 ーユキちゃんも加地も死んだ。白い服の老婆に殺された。二人は映画に呪われて死んだのか? そうだとするなら、今度は「自分」の番なのか? 呪いなんてあるわけがない。松田は自身にそう言い聞かせる。だが、映像で見たユキの死が、加地の死が脳裏に蘇る。呪いだとするならば、自分もあの白い服の老婆に殺されるのか? 回避する方法はないのか。 松田は考えながら、足早におばけ横丁のレンタルビデオ屋に向かった。 店員なら何か知っているかもしれない、と思った。 まだ昼間だというのに、おばけ横丁は薄暗くて相変わらず人の姿はない。加地と来た時には提灯が灯っていた居酒屋。今は電気が消え、準備中の看板が吊るされている。 奥に行くほど暗いおばけ横丁。一人で来ると、さらに気味が悪く居心地の悪さを感じた。下水臭さに嫌気を差しつつ、レンタルビデオ屋の前にやってきた。 だが、店はシャッターが閉まり臨時休業の紙が貼られていた。しかも、返却ボックスが置かれておらず、返すこともできなかった。 映画のことも聞けず、DVDも返せない。そのまま置き去りにするわけにもいかず、松田は仕方なく持って帰ることにした。 家に着いた松田。玄関を開けると、ダイニングの閉じたドアの向こうから「おかえり」の母の声がした。 「ただいま」 疲れた声でそう返事をしながら、松田はそのまま二階に向かった。 そして、自分の部屋に入ろうとドアノブに手を掛けた時、中から物音と人の気配を感じた。 真っ先に思い浮かんだのは妹の茜だった。茜はよく松田の部屋に入り込んでは、大切なオーディオで自分好みの音楽を聞いていた。それだけならまだしも、ベッドの上でお菓子を食べ散らかし、毎度掃除が大変だった。茜には何度も、「部屋に勝手に入るな」と言っていた。 また茜が部屋に居座っている、そう思った。 「茜。また俺の部屋に勝手に入っているのか。散らかしていないだろうな」 声を掛けながら、松田はドアを開けた。 だが、部屋は薄暗く誰もいない。オーディオの電源も落ちていた。確かに聞こえた物音。何かが動いた形跡もない。 部屋の中に入ると、冷たい空気が松田の頬を撫でた。脳裏に浮かぶ白い服の老婆。まるで監視されているような、自分の部屋の映像。 松田は部屋の中を調べてみたが、特に異変もなく普段通りだったことに安堵した。
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