呪いを解くために

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呪いを解くために

病院を出た松田はバス停に向かいながら、カースドに無事会えたことを広瀬にメールした。その時、ふと鎖の擦れる音が聞こえ、松田はとっさに振り返った。 その音は病院の歩道に連なるポールに繋がれた鎖を、小さな子供がいたずらしている音だった。それを見て松田は安堵した。 バス停に着いた松田。他に誰も待っていない。時刻表を見れば、バスは行ったばかり。次のバスは、しばらく来ないようだった。仕方なく、松田はベンチに座りながら、監禁事件が起こった呪いの家までどうやって行くかを考えた。 カースドは車がいると言った。松田はまだ運転免許を持っていない。だからと言って、父親には頼めない。迷惑をかけたくないし、そもそも呪いなんて信じる人ではなかった。 タクシーで行くことは金銭的に無理な話。 悩んだ挙句、松田はあることを思い出した。 友人の「高橋」には姉がいて、ドライブが趣味だと松田は聞いたことがあった。淡い期待を胸に、高橋に相談することにした。時計を見ると、ちょうど学校は休み時間だった。 電話を掛けると、すぐに高橋が出た。 「真一か! お前が無断欠席だなんて珍しいな。体調でも悪いのか? 俺たちは健康だけが取り柄だったのにな。まぁ、わかるぜ、お前の気持ち。亮介があんなことになって……。一人で抱え込むなよ。なんでも言えよ。な」 相変わらず元気のいい奴だ。 松田は高橋に圧倒されながらも、本題を話し始めた。 「え、車で行きたいところがある?」 「ああ。どうしても行かなければいけないんだ。けどそこはかなりの山奥で、車でしか行けない。高橋の姉ちゃんって車を持っていたろ。頼んでもらえないか」 「山奥って、そんなところに行ってどうするつもりだよ。まさか、死ぬ気じゃないだろうな!」 「生きるために行くんだよ」 「どういうことだよ」 「悪いが詳しくは言えないんだ」 「ふーん。まぁ、真一の頼みなら仕方ねぇ」 「本当か! 助かる」 「おう! 来週、姉ちゃんが帰ってくるから、その時に頼んでやるよ」 「来週? 明日とか、せめて明後日とかじゃだめか?」 「そんなに急ぎなのか?」 「緊急だ」 「困ったな。姉ちゃん、今仕事で海外にいるんだよ。帰ってくるのが、来週末だって言ってた」 「そんな……。それじゃ、遅いんだ……」 「そうなのか。親に頼めないのか?」 「ちょっとな」 「一応、他の奴らにも聞いてみるよ」 「迷惑かけてすまない」 「気にするなよ。とにかく変な気は起こすなよ。聞いてみるからな」 高橋に礼を言い、松田は電話を切った。当てが外れてしまった。    しばらくして、バス停にバスがやってきた。乗客は誰もおらず、運転手と松田の二人きりだった。 帰りの電車もガラガラで、松田は座席に座りながらカースドから受け取った手帳を見ていた。 「被害者の名前は神楽紗夜子」 「家の地下室で監禁」 「カメラで常に監視」 「犯人は診療所の長男とその姉」 「犯人から暴力」 「紗夜子は出産した形跡」 「犯人の長男は地下室で死亡」 「犯人の姉は二階で自殺」 「紗夜子は犯人の血肉を食らいしばらく生存」 「紗夜子の死因は餓死」 その中で、くすんだ赤色のペンで「出産した形跡」という部分に印がつけられていた。 横には、「犯人との子?」と小さく書かれていた。 手帳に挟まれた写真を見る松田。 「村」「食堂」「民宿」「畑」「小さな診療所」「山荘」「家の外観」 その中に、役者やスタッフらしき数人の男女が写る写真があったが、どれも黒い靄に覆われていたり、顔が歪んでいたりしていた。 気味悪そうにそれらの写真を見ていると、誰かの視線を感じて顔を上げた。すると目の前の座席に座っていた杖を持った白髪の老人が、険しい顔で松田を見ながらブツブツと何か呟いているようだった。老人は松田と目が合うと到着した駅で降りて行った。 だが、窓の向こうから老人は松田のことを見つめていた。気味の悪さを感じながらも、それが「人」であることに安堵する松田だった。 少しして、松田のスマホに広瀬からメールが届いた。内容は、カースドがどんな人物だったかということだった。 松田はごく普通の中年の男だったとメールを返した。 すると、また広瀬から返信が届き、「普通」という言葉にガッカリしているようだった。 『呪いの映画に関わった人物だから、それは、それはひどく呪われているかと思ったのに』  そう書かれていた。 実際のカースドは、そう思えてしまうほど痛々しい姿だったが、黙っておくことにした。 代わりに、呪いの家の情報が得られたと伝えた。 そこは電車も通っていない山奥にあり、山の麓には小さな村がある。 呪いの家の隣には小さな診療所が建ち、山にはいくつかの道標があるようだが、今はどうなっているかはわからない。 だが、呪いを解く手掛かりがあるとするなら、きっとそこだろう。とにかく、その山の麓にある小さな村を目指す。  そう送ると、すぐに広瀬からのメールの返信が来た。 『そこまでどうやって行く気?』 『電車でいけるところまで行って、あとは親切な人がいるかもしれないからそれに託す』 『どこの誰だかわからない男を、そんな山奥の家まで送り届けてくれる奇特な人がいると思う? このご時世に』 『わからないだろ』 『誰か車を持っているはいないの?』 『家族は巻き込みたくない。それに呪いなんて言っても信じない』 『兄貴に頼んでみる』 『ありがたいけど、そこまで広瀬を巻き込めない。これは俺の問題で、広瀬にそこまでしてもらう義理はないよ』 『車、ないんでしょ?』 『だからといって、広瀬のお兄さんにまで迷惑かけられないだろ』 『兄貴はサービスエリアマニアだからちょうどいい。美味しい食べ物屋なんかがあるともっといい。兄貴、食いしん坊だから』 『村に食堂があったみたいだけど。もう廃れているかもしれない』 『とにかく。頼んでみる。出発はいつがいい?』 『わかっているのか。死人が出ている家に行くんだぞ。しかも呪いの家なんて言われている場所に』 『しつこい。そんなこと聞く暇があるなら、準備しておいて。兄貴が帰ってきたら予定を立てて連絡するわ』 『わかったよ。ありがとう』   電車から降りた松田は、再びトイレで制服に着替えて駅を出た。その頃には、すっかり空がオレンジ色に染まっていた。 賑わう駅前とは違い、家に続く道には誰も歩いていない。路面には自身の濃い影が伸びていた。 近づいてくる自分の家。何故だか、いつもより暗く感じた。 玄関のドアを引くと鍵がかかっておらず、ドアがすんなりと開いた。玄関にはいつも置いてある母親のサンダルがない。 「ただいま」 松田の声に返事がない。リビングのすりガラスは、ぼんやりと明るいが物音はしない。 「(母さん、何処かに出掛けたのか。鍵もかけないで。物騒だ)」 松田が靴を脱ぎ廊下に上がろうとした時、ふっとすりガラスの向こうに人影が横切った。 「あれ、茜か?」 松田はリビングのドアを開けた。 だが、そこには誰もおらず廊下から見えた明かりは庭から射し込む夕日だった。キッチンにも母親の姿はなく、静まり返っていた。 松田は階段を上がり、自室のドアの前に立った時、中から声が聞こえてきた。 松田の脳裏に白い服の紗夜子が過り、ドアを開けることに躊躇した。 すると、ドアの向こうから叫び声が聞こえた。聞き覚えのある声だった。 松田がドアを開くと、薄暗い部屋の中で茜が呆然と立ち尽くしていた。 「何をやってるんだ?」 茜に近づく松田。茜の視線の先には、暗がりで壊れたはずのテレビが煌々と灯っていた。そして、亀裂の入った画面に、路地裏で首を吊っている加地の姿が映っていた。 「お兄……、これって何。なんの冗談?」 茜はひどく動揺した様子で、体をガタガタと震わせていた。 「どうしてこんなひどい映像を見せるの?」 路地裏で首を吊っている加地の近くに、紗夜子が映っている。 映像がノイズで乱れると、松田の部屋が映りこんだ。松田は慌てて、DVDデッキのトレイを開けた。取り出したはずの山荘の惨劇のディスクが、異様な音を立てながら吐き出された。その表面は傷だらけで変形していた。 「見たのか? この映画」 ベッドの上で震えている茜に、松田が問い詰めた。 「映画? 映画なの? なんだ、よかった」 茜は安堵して息を吐いた。 「(迂闊だった。ケースをどこかに隠しておくべきだった)よりにもよってケースから出して見るなんて」 「そんなことしていないよ。私、お兄に元気を出してほしくてケーキを買ってきたんだよ。玄関に靴がなかったから、まだ帰ってきてないんだろうなと思って冷蔵庫に入れてから自分の部屋に戻ろうとしたの。そうしたら、お兄の部屋の中から声が聞こえてきて」 「声?」 「お兄の声じゃなかったし、テレビをつけっぱなしで行っちゃったのかなって。それで消してあげようと思って部屋に入ったの。そうしたらテレビに砂嵐が映ってて、そこから、女の人の悲鳴だけが聞こえていたの。気味が悪くなって早く消そうとしたら、今度は部屋で暴れている男の人が映ったの。画質が悪くて最初は気づかなかったけど加地君だった。何かにすごく怯えているみたいに叫んでた。それで、最後には首を吊って……。これって、ドッキリかなんかだよね? 現実じゃないよね?」 「他に何か見なかったか?」 「わかんない。ノイズがひどくてよく見えなかった。でも、気味の悪いおばあさんが一瞬だけ見えた」 その言葉に動揺する松田は、とっさに嘘をついた。 「そう、これはあいつが仕組んだドッキリ映像なんだ。俺の学校でいま流行っていてな。あいつはみんなを驚かせるために手の込んだホラー映像を作ったんだ。けどあいつがあんなことになって、洒落じゃすまなくなったから俺が処分することになっていたんだ」 「そうだよね! ドッキリだよね! あー、驚いた」 「わかったら、お前は自分の部屋に帰れ。何度も言うが、人の部屋に勝手に入るな」 「お兄がテレビをつけっぱなしにしていなければ、入ってませんよーだ!」 茜は頬を膨らませた。 「そういえば、母さんはどこに行ったんだ?」 「お母さんなら、一階で夕食の支度をしてるでしょ? 私が帰って来た時にはいたし」 「え、母さんのサンダルとかなかったぞ」 「新しいのに変えたんじゃない? あ、ケーキは冷蔵庫の中にあるからね。可愛い妹からのプレゼントなんだから、ありがたくいただいてよね」 「ああ、ありがとう」 茜が部屋を出て行った。 松田の手には、歪な形をした「山荘の惨劇」のディスクがある。 「茜は映画の部分は見ていない。だから、きっと大丈夫だ」 込み上げてくる不安。それを払拭させるべく、松田はディスクと机の引き出しからライターを取り出し、家の庭に向かった。壊してもだめなら、燃やしてしまえばいい。それでもし呪いが解けるなら、ラッキーだと思った。 レンタルビデオ屋には怒られるだろうが、訳を話してわかってもらうしかない。 松田が一階に下りると、リビングから忙しない物音が聞こえてくる。 玄関には、茜と母親の靴がいつの間にか並んでいた。松田は少し戸惑いながら、玄関に置いてあるバケツを持って庭に出た。 そして、母親にばれないように、庭の隅で持っていたディスクに火をつけた。ディスクは熱によって溶けて穴が開いていく。小さな火花と、青白い炎が目に映った。 燃えカスを入れたバケツを庭の隅に置き、松田は玄関から家の中に戻った。ドアを開けると、リビングから母親が顔を出した。 松田の顔を見るなり、「なんだ、真一か」と言った。 「母さん、さっきまでどこかに出かけていなかった?」 「え? 出かけるわけないでしょ。お夕食の支度で忙しいのに。真一は今帰ってきたの?」 「いや、さっき」 「あらぁ、帰ってきたら、まずただいまでしょ!」 「うん。ただいま」 「はい、おかえりなさい。さ、お父さんが帰ってくるまでに支度しないと」 そう言って、母親は慌ただしくキッチンに戻っていった。 松田は解せない様子で二階の自室に戻った。 テレビの画面は真っ暗なまま。壁と床のシミはさらに濃さを増し広がっている。紗夜子の呪いが近づいてきているのを感じた。 その時、松田のスマホに広瀬からメールが届いた。 『明日、六時に迎えに行くから待ち合わせ場所を指定して》 松田は最寄りの駅名をメールで送ると、すぐに広瀬から了解と返ってきた。 少しして、父親が帰ってくる音がした。 松田が部屋を出ると、茜もちょうど部屋から出てきた。二人でリビングに向かうと、テーブルの上には父好みの和食の手料理が並んでいた。 松田と茜が席につくと、部屋着に着替えた父親も席につく。いつも通りに挨拶を交わし、いつも通りに家族四人の夕食が始まる。 その日は、珍しく母親と茜の食事中の談笑を父親は注意しなかった。 「食事中は黙って食べなさい」 おしゃべりが好きな母親と茜は、いつも父親にそう注意されるというのに。そのおかげで騒がしいほど賑やかな夕食となった。 友人を失くし、落ち込んでいる息子を気遣ってくれているのだと、松田自身感じていた。 この幸せを手放したくないと、松田は強く思った。 茜は笑顔で食事をしていたが、時々その表情が曇った。やはり、あの映像のことを気にしているようだった。茜は松田と目が合うと、とっさに作り笑いをしていた。 「まだ気にしてるのか?」 松田がそう尋ねると、茜はそうじゃないと言いつつも目を逸らし、やはり気にしている様子だった。 「あれは亮介の悪ふざけだって言ったろ。それに、あのDVDは燃やした。もう見ることはない」 そう言うと、茜は頷いていた。 夕食も終わり、それぞれの時間が流れる。 母親は後片付けを始め、父親はリビングでテレビを見ながら枝豆をつまみにビールを飲んでいる。茜は珍しく母親の手伝いをしている。 そんな光景を目に焼き付け、松田は二階の自室に戻った。 部屋の戻ると、忘れ去られたように部屋の隅に置いてあるリュックを取り、懐中電灯とカースドから受け取った資料や写真を中に入れた。 呪いの家は、今どうなっているのか。 入ることが出来るのか。 呪いを解く方法を見つけることが出来るのか。 松田は早めに寝支度を済ませるとベッドに横になった。 部屋の外から、家族の生活音が聞こえる。 母親の忙しない足音、父親の入浴中の水の音、茜の部屋のテレビの音。不安と緊張で音に敏感になっている松田は気になって寝ることができない。 そのうち水の音が消え、足音が消え、テレビの音が消えた。家族が就寝した合図だった。だが、代わりに普段は気にならない時計の針の音が気になって眠れずにいた。 深夜。静寂な部屋の中で突然カチッという音が鳴り、テレビが明るくなった。画面には砂嵐を映り、ホワイトノイズが聞こえる。 音に驚き、松田は起き上がる。砂嵐と耳障りなホワイトノイズに不安を掻きたてられる。 松田の鼓動が早まる。 白黒で映し出された松田の部屋。そこにはベッドに腰掛けテレビの方を向いている松田が映っている。 松田は恐る恐る振り返り、天井を見上げる。無論そこにカメラのようなものはついていないことは、すでに何度も確認済みのこと。 再びテレビを見た時、あることに気づいた。そして、徐に右手を上げた。 すると、テレビに映る自分が同じく右手を上げている。松田は確信した。テレビ映る部屋が、「現在」のものだと。戸惑う松田をよそに、映像はノイズが混じる。 嫌な予感がする。映像の部屋の床、黒いシミが濃く広がっていく。鎖の擦れる音が聞こえる。心臓の鼓動が早まり、額からは嫌な汗が出てくる。 テレビの向こうでは、床に広がる黒いシミから頭らしきものが浮かんでくる。 松田は恐怖から身動きが取れない。 床の黒いシミから、ちょうど鼻から上辺りまで顔を出した。息を飲む松田。乱れた黒髪に、真っ黒な瞳で睨んでいる。 松田は、視線をテレビから床に移す。床に広がる黒いシミは、まるで穴のように広がっている。 テレビから赤ん坊の泣き声が聞こえ、薄暗い部屋で首に鎖をつけて立ち尽くす人影が映し出された。それは松田自身のように見えた。 そして、映像はノイズで乱れ、真っ暗になって消えた。 その後も眠ることが出来ず、気が付くと五時半になろうとしていた。酷い頭痛がする中で、松田は着替えを済ませるとリュックを背負い一階へ下りた。 松田家で一番朝の早い母親もまだ起きておらず静まり返っていた。母親に見つかっては厄介だと、松田はこっそり家を出た。 夜は明け、空は白み、外は薄っすら明るくなってきた。家の前の通りには、掃除するおばあさんや、新聞配達の男性がいた。 松田はおばあさんに挨拶をすると、待ち合わせである駅に向かった。駅に近づくにつれ、人通りも増えていく。ほとんどがスーツ姿で鞄を持った会社員。どの人も疲れた顔をしていた。 駅につくと、そこにはタクシーが数台並んでいたが、その中に一際派手なミニバンが止まっていた。側面には見たこともないアニメのキャラクターが描かれていた。 「まさかあれじゃないよな……」 松田は様子を見ながら、派手な車の横を通り過ぎようとした。 すると、助手席のドアが勢いよく開き、中から広瀬が出て来た。広瀬は松田に手を振りながら近づいてきたが、車を見ながらなんとも言えない表情を浮かべている松田に広瀬は察した。 「まぁ、言いたい気持ちはわかるよ。だから早く乗って。私も恥ずかしいから」 広瀬に急かされ、松田は後部座席に乗り込んだ。 運転席を見ると、そこには大柄な若い男が座っていた。松田がルームミラーに目をやると、その男は睨むように松田のことを見つめていた。 「初めまして。広瀬さんと同級生の松田真一といいます。お忙しい中、しかもこんな朝早く車を出していただきありがとうございます。本日はよろしくお願いします」 慌ててそう挨拶をしたが、男は何も言わずただ不愛想に睨むだけだった。 「兄貴。挨拶しているんだよ。大人なんだから、ちゃんとして。こんな車に乗せられる身にもなって」 そう言いながら、広瀬も助手席に乗り込んだ。 「仕方ないだろ。俺の車は車検中だ。車を出せなんて、突然言ってくる奴の方が悪い。どうしてもって言うから、知り合いから無理言って大事な車を借りたっていうのに」 「はいはい、それはすみませんでしたねー」 「仕事まで休んで、どうして俺が運転手なんか」 「私、運転免許持ってないし」 「電車で行けよ」 「行けるなら頼んでないよ」 「すみません……。俺の為に」 落ち込む松田に、広瀬の兄はバツが悪そうな顔をした。 「まぁ、いいけど。で、どこまで行くんだ。俺はまったく聞かされていないんだが」 松田はカースドから受け取った資料に書かれた地図を広瀬の兄に渡した。 それを見た広瀬の兄は声を出して驚いた。 「こんなに遠いのかよ!!!」 「電車で行けない場所だって言ったじゃん」 広瀬は何食わぬ顔でそう言った。 広瀬の兄の顔は引き攣っている。 しかし、松田がどうしても行かなくてはいけないと、懇願すると広瀬の兄はため息をつきながら少し型の古いカーナビに目安となる山を指定した。 目的地は山の中。周囲は森と畑とただただ広大な土地が広がるばかり。カースドの話では山の麓に小さな村があるというが、カーナビには載っていない。 「それで、こんな山奥に何しに行くんだ?」 「肝試し!」 広瀬がそう言うと、広瀬の兄はあからさまに嫌そうな顔をした。 「そんなことのためにわざわざこんな朝早くに、しかもこんなクソ遠いところまで連れて行けっていうのかよ」 「学校のミステリー部で、心霊スポットの調査と体験を書いて提出しないといけないの」 「曰く付きのところなら、なおさら俺は行きたくない」 広瀬の嘘に唖然とする松田だった。 「ビビりの兄貴は車の中で待っていてくれればよし。私と松田君だけで行くから。それに高速のサービスエリア寄っていいよ。兄貴好きでしょ。地域限定の土産物」 「そんなのはいつでも行ける。向こうについても、俺は絶対車から出ないからな!」 「はいはい」 車はようやく走り始めた。「曰く付き」の場所に行くとも知らず。罪悪感が込み上げる松田だったが、本当のことは言えなかった。呪いがすぐそこまで来ている。そう感じていたから。 幸運にも、道は渋滞もなく順調に進む。助手席の広瀬は、朝が早かったせいか眠っている。広瀬の兄は無言で、ただただ前を見て運転をしていた。松田はカースドから受け取っていた映画の台本を読んでいた。静まり返る車内で、広瀬の兄が徐にオーディオの再生ボタンを押した。車内に流れるのは、一昔前の軽快な洋楽。松田がルームミラーに目をやると、運転席の広瀬の兄は上機嫌でリズムに合わせて体を少し揺らしていた。 一方その少し前、自室で寝ていた茜は魘されていた。 夢の中で、茜は友人と流行りの街でショッピングを楽しんだ。欲しかった服、バッグ、アクセサリーを両手いっぱいに買い込んだ。カフェでお茶をした後、友人と別れた茜は一人電車に乗り、いつもの駅に降りた。 空はすでに日は落ち、駅前は煌びやかなネオンと人で賑わっていた。 「(急いで帰らないと。門限過ぎちゃう)」 そう思いながら、茜は家に向かって足早に歩いた。 そこへ友人からメッセージが届く。 『今日は楽しかったね』 『あのショップの店員さん、めっちゃかっこよかった!』 他愛無いメッセージを送りながら、茜は静かな住宅街に入った。前方には、駅からの帰宅者が歩いているが、駅前に比べて街路灯だけのその道はとても暗く、遠ざかるほど人は暗闇に消える。 茜が友人にメールを送った直後、一通のメールが届いた。それは知らないアドレスからだった。 茜が何気なくタップすると、そこには文字化けした文字がずらりと羅列していた。 その中で唯一読めた文字を並べると、 『オ、前、ヲ、呪、イ、殺、ス』  というものだった。 気味の悪いメールに戸惑い、茜はその場に立ち止まった。周囲を見ると、歩いていた人の姿は消え、いつの間にか茜一人になっていた。空の月は雲に隠れ、建ち並ぶ家々は電気が消えて暗い。 茜は急に怖くなり、友人に電話をかけた。 「もしもし。どうかした?」 友人の声に安堵する茜。変なメールが届いたことを伝えた。そして、電話で話をしながら家に向かって急いだ。 どれほど歩いたか。いつもならとっくに自宅の前についているはずが、景色がまるで変わらない。その違和感のせいで、会話が曖昧になる。 その時、何処からか鎖の擦れる音が聞こえた。同時に、電話の向こうでノイズが混じり、友人の声が途切れ途切れになった。 「もしもし、ユウカ?」 友人の名前を呼び掛けるも、ノイズは酷くなるばかり。焦り、心臓の鼓動が早くなる。 電話の向こうで、地を這うような低い呻き声が聞こえた。茜は驚き、とっさにスマホを耳から離した。 そして、ふと前方を見ると、街灯の下に人らしき影が立っているのが見えた。さっきまではなかった人影に、茜は目を凝らしてじっと見つめた。 それは白い服を着た老婆。耳元で鎖の擦れる音が聞こえた瞬間、街路灯の下の白い服の老婆が地面を滑るように自分の方へ近づいてくる。とっさに持っていた荷物を捨て、茜は走って逃げた。 だが、どれだけ走っても同じ景色が続くばかり。 息を切らし立ち止まる茜。振り返ってみると白い服の老婆の姿は消えていた。 安堵する茜。再び前を見ると、街路灯の下に松田が立っていた。 「お兄!!」 茜は泣きながら駆け寄った。松田はそんな茜に無反応だった。 違和感を覚え、ふと松田の足元を見ると、地面に足がついていないことに気づいた。よく見れば、首には鎖が巻かれ、街路灯の足場釘に吊るされていた。その目は虚ろですでに光を失っていた。 茜は悲鳴をあげながら、ベッドから飛び起きた。そこは自分の部屋だとわかると、夢であることに安堵した。 時計を見ると六時過ぎ。二度寝する気にもなれず、茜は水を飲もうと部屋を出た。そして、松田の部屋の前を通りかかる。 「あんな夢を見たのも、あの映像のせいよ。お兄は怒るし最悪だった」 そう呟きながら、茜はドアの前で松田の様子が気になった。 「まだ寝ているのかな」 部屋の中からは物音もせず、ドアに耳を当てても同じだった。 松田はすでに出かけ、部屋の中にはいない。 それを知らない茜は、松田がまだ寝ているのだろうと思い立ち去ろうとした。 その時、部屋の中から鎖が擦れる音がした。 夢で見た記憶。 背筋がゾッとするあの音。 その音が、松田の部屋から聞こえた。茜は躊躇いながらもドアノブに手を掛け、部屋のドアをゆっくりと開けた。 「お兄、まだ寝てるの?」 ドアノブの隙間から控えめに声をかけた。 だが、当然松田の返事はない。 茜が部屋に入ると、ベッドの上には部屋着と布団が綺麗に畳まれていた。ハンガーラックには制服が、ベッドの脇には学生鞄が置き去りだった。 「あれ、お兄どこに行ったの?」 戸惑う茜。ふとテーブルを見ると、メモが置いてあることに気づいた。それは松田が前日の夜に書いたメモだった。 そこにはこう書かれていた。 「解決しなくてはいけない問題がある。心配はするな。必ず帰ってくる。父さんと母さんには、何か聞かれたら適当に誤魔化しておいてくれ。頼んだぞ。俺の部屋に勝手に入ったことは勘弁してやるから」 「誤魔化せってどういうこと。どこに行ったのよ、お兄」 戸惑いながら、メモをテーブルに置いた。ふと床を見ると、黒いシミがついたまま。以前よりも少し濃くなっているように見えた。 「本当にこれカビ?」 思わず、指先で床の黒いシミに触れた。 その瞬間、得体の知れない何かを感じ、とっさに手を引いた。漂う空気が重苦しくなり、茜は逃げるように松田の部屋から出た。 「一体何なの。大丈夫なんだよね、お兄」  茜は不安に思いながら一階へ下りた。 キッチンでは母親が忙しなく朝食と弁当の支度をしていた。カウンターには、空の弁当箱が三つ置いてあった。 リビングに入ってきた茜を見て、母親は驚いた。 「珍しい! こんな早く起きてくるなんて」 「喉乾いちゃって。あのね、お兄がね……」 「お兄ちゃんがどうしたの? まだ寝ていると思うけど」 「なんかね、友達と出掛けたみたい」 「出掛けたって、もう?」 「うん。部屋にいなかったから」 「大丈夫かしら。最近おかしいのよね、あの子。この前だって、洗濯物を持ってあの子の部屋に行ったのよ。声をかけても、ドアをノックしても出てこないから、いないのかなって思って開けたら、何していたと思う?」 「わからない」 「何も映っていないテレビをじっと見ていたのよ。怖くなっちゃった」 「友達が亡くなって、色々大変なんだよ」 「それはわかるけど」 「心配しないでって言ってたし、大丈夫だよ」 「そうね。あの子を信じるしかないわね」 「うん」 「じゃ、茜は朝食のお手伝いをしてちょうだい。ほら、そこの料理をテーブルに運んで」 茜は文句を垂れながら料理をテーブルに運んでいると、パジャマ姿の父親が起きてきた。 松田が出掛けたを伝えると、父親は小さく「そうか」と言っていつもの椅子に座った。父親はそれ以上、何も言わなかった。 それから一時間ほど過ぎた頃。松田たちを乗せた車は、高速道路のサービスエリアに到着していた。高速道路を走る車は時間とともに増えてきたが、サービスエリアの駐車場はまだ空いていた。 三人が車から出ると、腹を空かせた広瀬の兄が真っ先に飲食コーナーに走って行った。広瀬はトイレに行くと言って別れ、松田は自動販売機で缶コーヒーを買った。 そのまま土産コーナーに入ると、キーホルダーが並ぶ回転ラックが目に留まった。そこには子供が好きそうなキーホルダーがたくさんあった。ラックを回転させると、動物のぬいぐるみがついたキーホルダーを見つけ、松田はあることを思い出す。  茜の学生鞄にも同じようなキーホルダーがいくつもついていたことを。松田は缶コーヒーをポケットに入れると、ウサギのぬいぐるみがついたキーホルダーを手に取りレジへ向かった。 そこにちょうどトイレから戻ってきた広瀬と鉢合わせた。 「誰かの土産?」 「妹に。好きなんだよ、こういうの。いつまでもガキだろ」 「いいんじゃないの。女の子はこういうの好きだし」 「広瀬も好きなのか?」 「私より兄貴の方が好きじゃないかな」 「そ、そうなのか」 「それより、何か食べない?」 広瀬は飲食コーナーで食事をしている兄の姿を見ながら、松田にそう尋ねた。 「俺は平気。遠慮しないで食べてくれ」 と言いながら、松田の腹が広瀬にも聞こえるほど大きく鳴った。 「別に腹が減っているわけじゃないからさ」 笑ってごまかす松田に、広瀬は「そう」とそっけない返事をして、飲食コーナーに行ってしまった。 会計を済ませた松田は、外に出ると缶コーヒーの蓋を開けて飲もうとした時、スマホの着信音が鳴った。画面には茜と表示されている。 その電話の内容を察していた松田は、電話に出るべきか迷っていると、留守番電話に切り替わり切れた。 だが、それが何度も続き、仕方なく松田は通話ボタンを押した。 「どこにいるの? お兄……」  茜は話し続けているようだが、電波が悪いのか言葉が途切れ途切れで聞き取れなかった。 「サービスエリア。ちゃんと帰るから、心配するなって」 松田は茜にそうとだけ伝えた。 「これから、どこに……」 ノイズがさらにひどくなり、ハウリングを起こした。松田は思わず耳からスマホを離すと、通話はそのまま切れてしまった。 松田がかけ直そうとすると、腕に何かが当たった。 見れば、肉まんに噛り付いている広瀬が、袋に入ったもう一つの肉まんを松田に差し出していた。 「俺は……」 いらないと断ろうとしたが、漂う美味しそうな香りに腹が鳴り響いた。 「私、二個も食べないよ」 松田は広瀬から肉まんを受け取り、肉まんを口にした。 徐に、松田が問いかけた。 「なぁ、広瀬。どうしてそこまで良くしてくれるんだ。亮介に頼まれていたとはいえ、あの映画のことを調べてくれたり、カースドに連絡を取って会う段取りをつけてくれたり。今だって、あんな山奥に、車まで出してくれるなんて」 「だって、私の責任でもあるから」 広瀬は遠くを見ながら、加地との関係や経緯を話し始めた。
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