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一回目
「この日が来ちゃったねえ、俺」
俺はアパートの屋上に来た。天気予報では雨だったのに、現在の空は快晴。最期の日には相応しい天候だ。
フェンスに手を掛けると、俺の背後から囁き声のような何かが聞こえる。
「誰だ」
俺はその声に警戒しながら振り向く。朝日の逆光で最初こそシルエットしか見えなかったが、徐々にその姿形が露わになる。
その人はスーツ姿にピエロのお面を身に着けた男性? だった。ピエロは微笑む代わりにほんの僅かだけ顔を揺らす。
「死ぬな、生きてよ」
「はあ? お前みたいな不審者に言われたくないんですが」
「お願いだ。せめて、あと五分だけ」
待て、という指示通りに、俺はフェンスから手を離す。
と、突然上半身がじゅおっ、と焼けるような熱い感覚に襲われる。目の前のピエロも消えた。……否、違う、俺がそいつの移動速度に反応出来ていないだけだ。
ピエロの手元を見ると、俺の胸にはナイフを突き刺さっていた。身体の中から何かが込み上げてくる。
ピエロはいとも容易くナイフを引っこ抜くと、それをもう一度、二度、三度と心臓目掛けて振り下ろす。
熱い。痛い。苦しい。怖い。助けて。苦しいのは嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。血が、血が、血が……!
「うぅ、あ、お前、何をす、る……?」
「どうせ死ぬなら、我の欲望を満たすのに役立ててあげようかな、と」
「ゲホッ、があっ……お前、な、何者……だ……?」
視界が闇色に染まりゆく俺を余所に、殺人鬼は高らかな笑い声を響かせる。他の音が遮断される程のその声は、まるで豪雨のようだな、と我ながら最期の最期にしょうもないことを思う。
意識を失う直前、殺人鬼はようやく俺の質問に返答する。
「我は、しがないピエロだ」
夏の終わり頃。ピエロは屋上で独り、血塗れのナイフを握り締めていた。
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