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「ちゃんと聞いて。『ミライのタマゴ』っていう、危ないものがあるの。多分近いうちに、すごく危ない事が起こるの。いつアナタが危ない目にあうか分からないの。街を出れば安全なの。だから…」
「あー、アレねぇ」
「っ!まさか持ってないよね?」
「持ってはないよ」
「ねぇ引っ越そう?危ないから引っ越そう?危ないの、絶対に危ないの。引っ越そう?」
「ふふ、なに?そーゆーの信じるんだ?意外だね」
聞き分けのない子供をあやす様に、困った顔で私の頭を撫でる妹。
ああ、最低だ。
「信じるとかじゃないの!ねぇ絶対に関わっちゃダメだからね!ダメだよ!?危ないんだから!」
こんなにみっともないのに、頭が冷えているなんて、最低だ。
「ダメだよ!?ねぇ危ないの!本当に!」
つまり、こんなのは全部計算ずくなのだ。
私は、私がどうかしちゃっている事で、妹に方正を強要している。
「えっと、おねぇちゃん仕事どうするの?」
「余所に移して貰うから大丈夫だよ!ねぇ!」
三人で暮らすべきという妹の正しさを、他を捨てさせるための道具にしている。妹の言う通りなのかもしれない。私は母親を捨てないための道具にすら、妹を利用してしまっている。
「えー、そん時また引っ越すの?」
「そう!学校も!」
「えぇ……えっと、困ったな。とりあえず今の学校に通えるとこにしない?」
「ダメ!学校もこの街にある!危ない!」
頑として譲らない私の必死な顔を、妹は黙ったまま暫くみつめていたが、
「はぁ、もーおねぇちゃんは怖がりなんだから…」
やがて、大きめのため息と一緒に頷いた。
「アタシはさ?いっぱい稼がなくてもいいから最低限働いて、あとはお布団に寝っ転がってグータラ暮らしたいんだ」
妹の怠惰こそ、私達家族を繋ぎ止めるための手段でしかないのかもしれない。
「うん、うん、お姉ちゃんに任せて。それって最高だと思う」
でも、私は目を背ける。見ないふりをする。
「それってミライのタマゴで叶う?」
「叶わない」
「そーなの?」
「叶わないよ」
「絶対?」
「絶対」
強く頷く。平気で嘘を吐く。
あるいはそのお願いは、もしかしたら、叶ってしまうのかもしれない。しかし対価に何を奪われるか。困る、困る困る。だって私は最低な人間で、あくまで己の最大幸福を優先するのだ。
妹が『ミライのタマゴ』に怠惰な生活を願って、例えば、大金と引き換えに布団から動けなくなってしまう。
それなら『構わない』。
だってその横には、妹を世話する私がいるからである。
問題はその怠惰な生活が、私以外の人間に依って齎されたものとなった時。
何かを引き換えに、妹を一生『飼ってくれる』人間が現れてしまった場合。
妹は幸せになれるかもしれないが、私は幸せになれないのだから。
私は最低な人間だが、自分の幸福は分かっている。
妹がどんな目に遭っても、その隣に居るのは私でなければならない。
「絶対に、叶わない」
だから否定する。嘘を吐く。
妹の怠惰は、私が支えねば。妹の揺りかごは、私が編まねばならない。
だってこの子は危なっかしくて、私が支えてあげなきゃダメ。
なのが、私の幸福。
「おねぇちゃんがそーゆーならそーなのかな」
「そうだよ、叶わない。ねぇ、ミライのタマゴなんかよりも、私に言ってくれれば叶えるよ?ねぇ、だからこの街から出よう?」
「もー、お金大丈夫なの?」
「もちろんだよ。お姉ちゃんいつでも二人で暮らせるようにお金貯めてたんだから」
「えーでも流石にママがいないと。マンパワーが一人減っちゃうのはなぁ、アタシも一生懸命働かなくちゃいけなくなっちゃうんじゃない?」
「…………そーだね」
幸福と方正が一致しない私は、妹の幸福と方正を一致させないようにしている。
私は妹に方正を強要している。
ああ、なんて幸福なのだろう。
私は、最低の人間なのだ。
「うん、わかった」
暫くそのまま撫でてもらって、漸く納得したという顔を造り妹から身体を離す。
何はともあれこの街から逃げ仰せたのだ。母親がついてくるのにはもう目をつぶっても良いだろう。
「おねぇちゃん、ママにはアタシ達が必要だよ」
「ハイハイわかった。もーいいよ、母さんも一緒。後で迎えに行ってくる」
「仲直りできる?」
「かわいい妹のためならね」
そうだ、そうとも。最低限家にいくらか入れてくれれば、あとはあんなの放っとけばいいのだ。毎月お金をくれる人。割りきってしまえば何を熱くなる必要があるのか。
「そうそう、家族は仲良く、ね。あーあ、いっぱい喋ったらお腹空いちゃった。おねぇちゃん今日お夕飯なぁに?」
「えー、もーしょうがないんだから。たまにはアナタも作ってよ」
「だっておねぇちゃんが作った方がおいしいんだもん。ごはんなんて一日三回しかないんだから、どうせなら『おいしい』って思って食べたいでしょ?ねーアタシおねぇちゃんの玉子焼き食べたい」
「えー?もー、他のおかずはレンチンになっちゃうけどいい?ごはん炊けるまでにはサラダとお味噌汁もできるから」
「やったぁ、おねぇちゃん大好き」
「もーそーやってぇ、好きっていっとけばいいって思ってるでしょ?」
苦笑しながらキッチンに向かう。そうだそうだ、あんなしょうもない母親の事なんかより、妹の夕食の方が何倍も大切だ。
「ねぇーおねぇちゃん。引っ越すならついでにアタシ欲しい枕があるんだけど」
「もぉー何がついでなの?それにこの前新しいの買ったばっかりでしょう?」
「えぇでも今度のは全然違うんだよぉ。それに数は揃えないと、その日のコンディションで枕が変わるんだから」
「えー?何その競技」
「だってすごいんだよ?ふかふかのを折り畳んだ形をしてるから、頭を置いた場所だけ圧縮されて安定してね?寝返りうつと頭に併せて固い場所も移動するから、全く苦しくないんだって」
それは首の下に座布団を置くのとどう違うのだろうか。まあ、であるならば、四秒で寝れたりするのかもしれない。
「アナタそもそも横向いて寝てるでしょ?」
「だから上向きで寝れる枕が必要なんじゃん。ねぇ顎と骨盤が歪んじゃうよぅ」
「もー、しょうがないんだから。また寝過ぎて遅刻しても知らないよ?」
「しないしない、睡眠の質がバク上げだから寝覚めが違うんだもん。むしろ遅刻しなくなるよぅ」
「えー?もー、じゃあ来月お給料出たらね」
「やったぁおねぇちゃん!だから好きぃ!」
「もぉ調子いいんだから…」
機嫌よく料理に向かう背中に、ポソっと「ホント似た者親子だね」なんて声が聞こえたが誰だろう?お客様かしら?私の妹はそんなひどい事いわないはずなのだけれど。
「後で調べるから商品名メモしておいてね」
私が妹に差し出せるものに、スコシもフシギは含まれていない。
ミライなんて要らない。
死ぬまで『今日』が続く事こそ、私の望みなのだから。
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