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 シズエは分かっててあの立場にいるのか。それが問題である。  彼女については世間一般に聞く意見と私のとでそう変わりはない。しかしながら、F作品について語り合うような友人のいない私にとって『世間一般に聞く意見』とは大概において、顔も知らないような人がネット掲示板に書き込んだものであることは予め断っておくべきだろう。知らん人が事実かどうかも分からない事をなんの根拠も責任もなく書き散らした意見。だが、文字が残るかどうかという違いだけで、雑談とはそんなもんである。日常会話の中いちいちソースを問い正したりしない。下手に文章が残ってしまうから目に付くだけ。しかも私の方では意見を掲示板に書き込んだ事はない。見る専、リードオンリーメンバーというやつだ。解釈違いは癪に障るものの、誰かの意見を正してやろうなどという気は毛頭ない。私は、私がそう思っていれば満足。見知らぬ誰かとは合わないからといって何という事はない。ジェイアンは除いて。  満足、だったんだよなあ。  A派に対して、私は何であんなに感情的になってしまったのか。話のさわりがジェイアンだったからか。もしかしたら気が付かぬうち、煽られてたのかもしれない。だとしたらまんまと、だったのか?やはりA派は性格が捻じくれている。きっと小さい頃から、無垢なF派を口先三寸で丸めこんで生きてきたんだろう。アイツは少なくとも私のジェイアンにはならない。  さてそんな訳で、ネット掲示板でのシズエの評価が概ね私の評価である。  曰く、オタサーの姫ポジション。男ばっかりの中に入っていってチヤホヤされて、なんならそのサークル内の人間関係を破壊していく女。故意か過失か、誰にも嫌われないように立ち回るので女性慣れしていない男性はみんなして彼女に夢中になってしまう。  曰く、自称男の子と遊んでいる方が楽しい娘。女の世界は恐ろしいなどと嘯き、私はサッパリしてますよとネチネチアピールする。それを吹聴して回る事が、男女の分断をより深くしている事を知ってか知らずか、実に狡猾に『男の真似をして』いる。  それらの意見に時代背景をまぶして混ぜ合わせたバクダンおにぎりが、私の中のシズエ像である。  漫画の書き手からすれば、つまるところ『ヒロインは必要だろうが』という、ただそれだけの都合なのだろうが、それ故に彼女の行動には違和感と、ある種の不穏がついて回る。まあまあ小学生だから、という意見も当然『是』ではある。しかし正統派ヒロインに足るよう設えられた彼女の姫々しさに、何でコイツいつも男に混じってるんだろう、というスコシフシギが頭を過るのだ。  例えば『キミョウ百全書』のミコちゃんはどうだったか。はなからキミョウ君をガッチリターゲットに見定めていた。他の二人なんかまるっきりオマケで、ブッコノ助すらも時にはお邪魔虫として扱っていただろう。予め嫉妬して勝手にやきもきして、他の子に盗られないようガツガツにブロックしていたじゃないか。カワイイ。分かる。  例えば『スーマン』の3号、レンゲ嬢はどうだったか。スーマンとしての活動から知り合い、仕事仲間として遊び、自分が1号にとって憧れのアイドルで、かつ1号の事を悪からず思っているのにも関わらずギリギリまで正体を明かさなかった。何を隠そう私にとって憧れのヒロインは今も昔もスーマン3号である。彼女は完璧で不完全、繊細でガサツで優しくて乱暴で大胆で臆病である。なんといっても1号との別れのシーンで思いを打ち明けないのが最高だ。なおかつ大人になっても好きで居続けるという大和撫子。なんていじらしいのだろう、なんてかわいらしいのだろう、なんてうつくしいのだろう、なんて純真で高潔で素敵なのだろう。はぁぁ、すき。もう超すき。超分かる。分かるよ分かるよって、お友達になって隣でずっと肯定していてあげたい。彼女の気持ちにただ頷くだけの機械になりたい。  ごほんっ。で、あるによって、つまりよく分からないのはシズエ。幾度となくノブタに風呂を覗かれ、ジェイアンのリサイタルには辟易として、あの場にいて楽しい事といったらヒネオの金持ち道楽の恩恵かドコエモンの未来道具くらいなものだろう。ほら、なんかイヤぁな感じじゃないか。  最近のアニメではシズエの女友達もよく出てくるようになった。考えればそうだろう。アニメやマンガで描かれるのはあくまでドコエモンが未来の道具を出したところだけなのだ。それ以外の日は普通に女の友達と遊んだりしていたのだろうよ。なれば先述のネット掲示板による評価は誤りであるのか?違う違う、その上であの評価なのが『皆そう思ってるよ?』って証明書なのだ。  さて、どうしてノブタと結婚したんだろうね。  プロポーズで『危なっかしくてみていられない』などと供述していたがどうなのだろう。小、中、高、大学、そして大人になるまで、ずっとノブタと連絡をとりあっていたのだろうか。  ノブタが一体どのタイミングで改心し、猛勉強したのか明らかではないが、シズエは何となく中学受験をしていそうである。作中には出ていないがあの時点で塾にも通ってそうな感じもする。  幼馴染みとはいえ、学校が別になってしまえば会って遊ぶ機会も減るだろう。思春期になればなおさらだ。ドコエモンが未来に帰った時、シズエは一緒にいたのだろうか?落ち込むノブタを支えたりしていたのだろうか?私はどちらも否であると思う。絶対大学辺りで再会したパターンだろ。中高で疎遠になってたろ。怒らないから正直に言ってみろ。主婦になるつもりだけど一応何となくで行った大学に、改心して『なしよりのあり』に成長してた幼馴染みがいたのでキープしたでござるって言ってみろ。んー、君どこ大卒だい?改心したとはいえ所詮ノブタと同じレベルの大学にしか行けなかった昔の優等生はどこのどいつだい?中高で遊んじゃったのかな?んー?  そう考えれば結婚前夜でのジェイアンとヒネオ、モテスギ君の態度も納得である。全然悔しがっていないもの。まるっきり昔の同級生の話で、平気の平左で『我らがアイドル』などと小学生の頃の思い出話として評価しているのだから。  シズエは中高で遊んでしまったのだ。学生の本分たる勉学を疎かにし、男を漁りにテキトーな大学に進学しノブタと再会したのだ。一応キープしておいて、他にアテもなかったので「まぁしょうがないか」なんてノブタで妥協したのだ。何が『ほっとけない』だ、何が『アタシ結婚やめる』だ。上からにも程がある。零落れたのもさもありなんというやつだろう。いやいや、高卒の僻みじゃないぞ。私は別に就職出来ましたし、大学なんて行きたくなかったし。  と、いう事なので、私にとってシズエは愛すべく三馬鹿の友情の園に土足で踏み入り散々に荒らした挙げ句、いったん距離を開けぇの戻りぃのという、即ち敵である。ホント、なんなんだこの女。入ってくるんじゃないよ。男の子の友情は遠巻きに眺めて愛でるものなんだよ。女は心の友にはなれないんだよ。あっちいけよもう。
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