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chapter0「エッセイを読もう」
その日、その世、その輪廻。
誰もが当たり前のように主人公であった。
二十九歳の夏、目の前を通り過ぎていったスーツ姿の男にも単行本一冊では足りないほどの物語があり、笑いや感動が存在するのだろうと考えてしまう私がいた。
辺りを見回した時、私はその人込みの重さに耐えきれなかった。
この行き交う人々は、いったいどんな物語を辿ってお天道様の真下を堂々と歩ける主人公になれたのだろうか。そんなことを不思議に思ってしまう。
私は、小説作家であった。
数々の主人公を私は描いてきたが、私自身が人生の主人公であるとは思えなかった。外に出ても、誰かの物語の中に出てくる通行人Gくらいが私という存在だ。
それに、今はもう作家とは名乗れないのだ。ここ六年何も書いてないし、去年「もう一度小説に向き合いたい」と思い仕事を辞めた。そうして一年間、結局何も成果を出せていない。そもそも、作品を書き上げることすらできないまま、私はただの無職のおじさんに成り果てていた。
これが主人公の姿か?
最近、作業を始めてもすぐに集中が切れるようになってきている。部屋が暗すぎるせいだと思い、少し明るい小物でも買おうかと街に出てきたが、一番暗いのは自分であると痛感した。
結局、すぐに家に引き返してしまった。
私には、時間が有り余っている。
だからいいのだ。またいつでも買い物に出ることなんてできる。小説だって書ける。慌てる必要なんてないんだ。
とりあえず、今日は部屋を片付けることにした。明るい小物がないとしても部屋を綺麗にするだけで、少しは集中できる環境になるはずだ。表面上は綺麗にしているが、収納の中なんかは着なくなった服や、二軍三軍の本が押し込められている。
これを思い切って捨てるだけで、心は軽くなるのではないだろうか。
そうして、収納の中に頭を突っ込んで数分後、私はゆっくりとその体を引いた。整理をしている中で懐かしい冊子を見つけ、思わず手に取ってしまった。
それは、私が昔に書いたエッセイ本だった。
ずっと捨てた気でいたが、思い返せばまた読み返すかもしれないと、思い留まったのだった。
仕方ない、読んでやるか。
それは、私のエッセイであるため、もちろん作品の主人公は私自身であった。大学生時代に起きた『ある出来事』について私の視点から描いたもの。
誰に読ませるものでもなく、何となく一連の騒動が終わった後に形に残そうと執筆して、一つの冊子にまとめたのだ。
映画研究部に所属していた友人Fとその後輩にあたる少女K。二人を捉えたある映像を巡る騒動に巻き込まれた私のキテレツな思い出話。
この話の主人公は私ではあるのだが、あくまで「脇役A視点で当時を振り返る」といった趣旨の内容だ。しかし、それが妙に書きやすかった。
だから、私が出版まで成功させた作品もほとんどが、物語の軸となる人物からずれた存在から進んでいく作品だった。
懐かしさを感じながら、ページを捲っていく。
読み進めるたびに、その時の記憶が蘇っていき。自分の青さにむず痒さを覚えた。
そうして、最後まで読み終えた後、乾いた笑いが零れていた。素直に面白くて、「自分もこんな作品を書くことができたんだな」と遠い存在を見ている気がしてしまう。
やっぱり私はこの作品の主人公であった。確かに私は脇役Aだったのかもしれない。それでも、あの時代の私は紛れもなく私の人生の主人公だったのだろう。
溜息を一つ。
夏の日暮れにはまだまだ時間がある。無職の私はそんなことにかまう必要もなく、冷蔵庫から度数9%の酒を取り出すと、それを一気に呷った。
一缶を飲み上げても構わずに二缶目を手に取る。そうして、ふらつく足取りでベランダまでゆっくりと歩いて行った。
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